お墓の中くらい、伸び伸びとさせてほしい
「石の話」(黒井千次)
(「日本文学100年の名作第7巻」)
新潮文庫
「お金持ちになったら
買ってもらう」。
誕生石・ダイヤの入った
指輪を贈るという
婚約時の約束を思い出したFは、
宝石店を回って品定めをし、
万端に整えた上で妻に切り出す。
しかし妻は、
それなら買ってほしいものが
あるという…。
夫婦間の贈り物といえば、
O.ヘンリーの「賢者の贈り物」が
真っ先に思い浮かびます。
夫は大切にしていた
懐中時計を質に入れ、
妻が欲しがっていた鼈甲の櫛を買い、
妻は自慢の髪を売り、
夫の懐中時計の鎖を買う。
貧乏ながらも素敵な夫婦愛です。
しかし本作品は、ようやく
貧乏から脱しつつある中高年夫婦の
すれ違いが描かれているのです。
妻がほしいといったのは「墓石」でした。
「ここまで来たんだから、
自分が生きている間は
今のまま一生懸命やりますよ、
この先何年でも。
でも、私が死んだら、
もういいじゃない。
お墓の中でくらい、
せめて伸び伸びとさせてほしいの」。
夫はたまたま結婚当時を思い出し、
誕生石を贈ろう、
それで妻が喜ぶと考える。
妻は以前から死んだ後のことを想定し、
墓石を買う算段をしている。
夫はいくつもの店を回りながら、
あれこれと誕生石を見比べる。
妻は売り出されている青葉御影石の
購入を即断する。
すべての面で、夫婦の行動は
対比的に描かれているのです。
「賢者の贈り物」とは百八十度異なる、
とんでもないすれ違いです。
そのすれ違いで決定的なのは、
墓石に対する考え方でしょう。
夫は様々な情報
(例えば永代使用料を含め
百万以上すること等)を集め、
墓を買うのは無理であると考えます。
指輪購入のための
最後の下見を終えた夫が、
その足で訪れた
墓石の展示即売会場で見たものは…、
自身の名前が記された
「売約済み」の札だったのです。
墓所をどうするかではなく、
自らの墓石がほしい。
死んだ後だけは自由になりたい。
そんな妻の願いを
全く理解できていなかったことに、
夫は気づくのです。
「お墓の中でくらい、せめて伸び伸びと
させてほしい」という気持ちは、
死後離婚を意味しているのでしょう。
本作品の発表は1981年。
この時代の50代夫婦の離婚率は
さほど高くはなかったはずです。
描かれている妻同様、
ここまで来てしまったら
仕方ないという気持ちの方々が
多かったのでしょう。
しかしその後、
50代60代の妻たちは反転攻勢し、
熟年離婚率が一気に高まります。
2005年にはTVドラマ「熟年離婚」が
放送され、高視聴率を上げました。
もはや「お墓の中でくらい」では
済まされなくなり、
「夫の退職後くらい、
せめて伸び伸びとさせてほしい」まで
女性の力は強くなっていったのです。
最後の場面はホラー小説さながらの
恐怖を感じる作品です。
すれ違う夫婦(というよりも
気づかない夫というべきか)を
これだけ端的に描出した作品は
他に例がないのではないかと思います。
こうなる前に、
しっかりと妻を理解しなくては…、
いや、私の場合は…、
どうなのだろう?
そういえば来週は結婚記念日…。
※「日本文学100年の名作第7巻」
収録作品一覧
1974|五郎八航空 筒井康隆
1974|長崎奉行始末 柴田錬三郎
1975|花の下もと 円地文子
1975|公然の秘密 安部公房
1975|おおるり 三浦哲郎
1975|動物の葬禮 富岡多惠子
1976|小さな橋で 藤沢周平
1977|ポロポロ 田中小実昌
1978|二ノ橋 柳亭 神吉拓郎
1979|唐来参和 井上ひさし
1979|哭 李恢成
1979|善人ハム 色川武大
1979|干魚と漏電 阿刀田高
1981|夫婦の一日 遠藤周作
1981|石の話 黒井千次
1981|鮒 向田邦子
1982|蘭 竹西寛子
(2022.7.21)
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