衝撃の医療ミステリ、本作品が暗示するものは…
「人工心臓」(小酒井不木)
(「小酒井不木集 恋愛曲線」)
ちくま文庫

私が人工心臓の発明を思い立った
抑ものはじまりは、
医科大学一年級のとき、
生理学総論の講義で、
「人工アメーバ」、
「人工心臓」の名を
聞いた時でした。と、生理学者の
A博士は私に向って語った。
A博士は曾て
人工的に心臓を作って…。
「人工心臓」と聞いても、
現在は実用化(ただし永久使用ではなく、
心臓移植のドナーが見つかるまでの
ブリッジ使用)されており、
驚くことではないでしょう。
しかし本作品の発表は
1926年(大正15年)。
人工臓器や臓器移植など、
ようやく研究が始まったばかりであり、
一般には知られていない
夢物語だったはずです。
これは医学研究者とミステリ作家の
二足わらじを履いていた
小酒井不木でなければ
創り得なかった作品なのです。
【主要登場人物】
「私」(主文での語り手「私」)
…A博士。医学研究者。
人工心臓の開発研究に没頭。
妻
…A博士の妻。共同で研究を進める。
「私」(冒頭での語り手「私」)
…S新聞学芸部記者。
A博士の述懐の聴き手。
本作品の味わいどころ①
述懐で綴られるサスペンス
以前取り上げた「恋愛曲線」が
書簡体で編まれた恐怖であるならば、
こちらは述懐で綴られた
サスペンスといえましょう。
延々と続く「私」(=A博士)の述懐は、
医療の歴史からはじまり、
人工心臓の原理や
その理論的裏付けの紹介、
人間の生理作用と
空気中の気体分子の関係など、
まるで学術論文を読んでいるような
気にさせられます。
科学に弱い方はもしかしたら
中途で挫折してしまうかも知れません。
しかし、忍耐強く読み進める間に、
読み手の意識は医学の闇の部分へと
落ち込んでいくのです。
極めて用意周到な手法です。
本作品の味わいどころ②
ひたひたと忍び寄るホラー
そして動物実験が
記されているあたりから、
徐々に恐怖が募ります。
兎、犬、羊と、実験が進めば、
当然次は人間がその実験台になる。
その先が読めるのに、
恐怖は減じるどころか
さらに一層積み重なっていきます。
本作品の味わいどころ③
衝撃の結末、医学ミステリ
そしてその恐怖が
頂点に達したところで、
衝撃の結末が訪れます。
実験台となった人物は誰なのか?
実験は成功したのか失敗したのか?
実験後、何が起きたのか?
詳しくはぜ読んで確かめてください。
A博士も妻も実験に没頭するあまり、
当時は不治の病とされていた肺結核に
冒されます。
研究室内の止宿の部屋を
そのまま病室として住み込み、
さらに研究を続けます。
実は作者・小酒井もまた、
医学研究と創作活動に
のめり込むあまり、結核を発症、
自宅の隣に研究室を建て、
その両方を継続させます。
それは1928年のことであり、
本作品発表のわずか2年後です。
本作品が暗示していたのは
「人工心臓」という
遠い未来の医療技術ではなく、
ごく近い未来における
作者自身の運命だったのかも
知れません。
〔小酒井不木のミステリ〕
21世紀に入ってから、論創社より
「小酒井不木探偵小説選」(2004年)、
「小酒井不木探偵小説選Ⅱ」(2017年)、
河出文庫から
「疑惑の黒枠」(2017年)、
パール文庫からは
「少年科学探偵」(2013年)、
そして本書光文社文庫
「ミステリー・レガシー」(2019年)と
出版が続き、
さらには青空文庫の収録も
充実してきました。
小酒井不木再評価の兆しが
見えています。ぜひご一読を。
(2022.8.12)

【青空文庫】
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