読み手の理解を強力に拒み続けます
「箱男」(安部公房)新潮文庫
これは箱男についての
記録である。
ぼくは今、この記録を
箱の中で書きはじめている。
頭からかぶると、すっぽり、
ちょうど腰の辺まで届く
ダンボール箱の中だ。
つまり、今のところ、箱男は
このぼく自身だという
ことでもある…。
難解です。
安部公房は難解です。
すべての作品が難解です。
しかしその中において「箱男」は
最も難解です。
読み進めること自体は苦になりません。
わくわくしながら
頁をめくることができます。
何が起きているのかを把握することも
容易です。
それでいながら作品は
読み手の理解を強力に拒み続けます。
つまり難解なのです。
本作品の難解さ①
本物の「箱男」は誰?(どれ?)
主人公が「箱男」であることは
いうまでもありません。
しかし途中から「贋物」が登場し、
これ以降の場面において、
描かれている「箱男」はどちらなのか
判別がつかなくなるのです。
登場人物はいたって
シンプルなのですが、主要な人物には
固有の名前は与えられず、
各章での関係が不明確であるため、
誰が誰なのか
カオス状態となっているのです。
【主要登場人物】
ぼく
…箱男。元カメラマン。
3年ほど「箱男」を経験。
A
…別の「箱男」を空気銃で撃つ。
後に自ら「箱男」となる。
B
…元「箱男」。抜け殻が発見される。
人物としての登場はない。
医者(贋医者)・C
…医師見習(看護夫)。「ぼく」と同じ
ダンボールを使って「箱男」となる。
彼女
…看護婦(見習)。元モデル。
戸山葉子という名を持つ。
軍医
…麻薬中毒の元軍医。診療所をCに任せ、
自身の妻(奈奈)もCに与える。
少年D
…中学生。
女教師のトイレ姿を覗こうとする。
女教師
…覗こうとしたDを拘束する。
ショパン
…花嫁と結婚しようとしていた男。
ショパンの父
…ショパンの馬車を引く「箱男」。
本作品の難解さ②
語り手は一体誰?どこで変わった?
このように「箱男」が多数登場します。
しかしA、B、ショパンの父は、
筋書きの中心とは関わらないため、
区別がつかないということは
ありません。
しかし「ぼく」と「C」は、
途中から「本物」と「贋物」が入れ替わり、
判然としなくなります。
さらに困ったことに、
それによって語り手が
「ぼく」なのか「C」なのか
明確に区別できない上、途中には
「字体も明らかに違っている」という
記述もあり、
その前後で語り手(書き手)が
変わっていることが考えられるのです。
さらには「C」と「軍医」も、
医者と贋医者の関係であり、
「軍医」が書き手である
可能性が高い部分も見つかるのです。
本作品の難解さ③
脈絡のない挿話の意味は何?
終盤に差し掛かるにつれて、
作品構造は一層複雑さを増します。
前後との関係性が不明な章が
二つ差し挟まれているのです。
一つめの「Dの場合」は、
覗き見しようとした少年Dと、
それを捕まえた女教師が、
逆にDを裸にさせて覗き見るという、
筋書き上は全く関連のない
(あるとすれば「覗く・覗かれる」を
扱っているということのみ)挿話です。
もう一つの「夢のなかでは箱男も…」は、
花嫁の家に向かうショパンを、
その父が「箱男」として
馬車を引くという、
理解不能の挿話です。
筋書き上の関連はありません。
しかし安部が全く意味もなく
差し挟んだとも思えません。
そこには必要不可欠な
何かがあるのでしょう。
でも…全く理解できません。
無理に理解しようと
考えない方がいいのかも知れません。
読み手の心に生じた不安や衝動、
疑問や焦燥を、
そのまま受け止めるべきなのでしょう。
さて、作品を現代に引き寄せた場合、
すっかりマスク社会となった日本は、
ある意味「プチ箱男」状態と
いえるのかも知れません。
「人前でさらしているのは
目元だけ」という社会が、
当たり前になってしまいました。
「箱男」で描かれているのは
「ダンボールをかぶって
全身を覆う人間が少数存在する
社会」なのですが、
現代日本は
「顔の一部を覆う人間が
ほぼすべてになってしまった
社会」といえます。
マスクの上のわずかな面積に
のぞかせた目で、
私たちは何を
「覗いて」いるのでしょうか。
〔安部公房作品について〕
本作品を「具体の喪失」もしくは
「匿名性への依存」とみた場合、
似たような作品には、
本作品の前年に書かれた
「燃え尽きた地図」があげられます。
安部公房には、
本作品同様にアナーキーな世界を
描いたものが多いのですが、
中でも「密会」は
不条理極まりない世界が展開します。
「本物」と「贋物」の区別が
曖昧になるという作品構造は、
本作品のほかに
「他人の顔」があげられます。
こちらは「箱」ではなく
「仮面」によって自身を偽るのですが、
根は共通しています。
(2022.8.15)
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