母と子を結びつけているのは
「海辺の光景」(安岡章太郎)
(「海辺の光景」)新潮文庫
精神を病んで入院している母親。
その死期が近いという知らせを
父から受けた信太郎は、
すぐ東京から高知へと向かう。
彼は父親とともに
数日間を病室で過ごし、
母親の緩慢な死を看取る。
母の死の瞬間、
信太郎が感じた感覚は…。
本作は安岡章太郎の私小説であり、
代表作としても知られている作品です。
母を看取るまでの
数日間の描写の所々に、
戦後の家族三人の耐乏生活や
家を追われるまでの顛末、
そして狂気を発し始めた母親を
病院に入れるまでのいきさつが、
フラッシュバックのように
ちりばめられています。
母は夫である父を、
異様なまでに毛嫌いしていました。
顔も知らずに結婚させられたこと、
父の職業が獣医であること、
復員してからろくに働きもしないこと、
その割に大食いであったこと、
鶏の飼育に
異常な執念を見せたこと等々、
あらゆる点で
母は父を嫌っていたのです。
その母が、数日間の看病の最中に
たった一言発した言葉が
「お父さん」でした。
さて、母の死の瞬間、
息子信太郎が感じた感覚は
何であったか?
「解放感」だったのです。
自分を生み育ててくれた肉親を失った
「喪失感」ではなく、
親子故の様々な押しつけからの
「解放感」。
死に行く母親に対して
何もすることがなかった
「無力感」ではなく、
数日間仕事を休んで
東京から駆け付けたことからの
「解放感」。
患者を人間扱いしない病院に
入院させた「罪悪感」ではなく、
入院に伴うすべての煩わしいことからの
「解放感」なのです。
「そもそも母親のために
償いをつけるという考えは
馬鹿げたことではないか、
息子はその母親の
子供であるというだけで
すでに充分償っているのでは
ないだろうか?
母親はその息子を持ったことで
償い、
息子はその母親の子であることで
償う。」
信太郎が考えるように、
「母と子を結びつけているのは
一つの習慣であるにすぎない」とすれば、
親子の絆はあまりにもはかなすぎます。
一方で、夫婦の絆はか細そうに見えて、
臨終の際に頼られるくらい
しなり強いものなのでしょうか。
簡単に答えの出そうもない
大きな問いかけを、読み手の内面に
とげのように残しながら、
この小説は静かに終わります。
最終場面で、信太郎は
「眼の前にひろがる光景に
ある衝撃をうけ」ます。
見慣れたはずの海辺の光景が、
あまりにも荒涼としていたからです。
それはまさに信太郎の心象風景と
重なっていたからなのでしょう。
安岡章太郎の作品の中でも
私の好きな一篇です。
ぜひご賞味あれ。
〔安岡章太郎の作品について〕
まもなく夏休みが明ける
この時期にぜひお薦めしたいのが
「宿題」です。
1952年の作品ですが、
現代に通じるものがあります。
「宿題」とともに少年時代を
回想したような作品である
「球の行方」や「サアカスの馬」も
一読の価値ありです。
(2022.8.22)
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