たくさんのオブラートに包んでそっと差し出す
「善人ハム」(色川武大)
(「日本文学100年の名作第7巻」)
新潮文庫
肉屋の善さんが、
町内の有名人になったのは、
日支事変のごく初期に、
金鵄勲章を貰ったからである。
この勲章は
戦死者が対象になることが多く、
生存している一兵卒に
与えられることが
稀であるうえに、
当時は戦争がはじまった…。
一読しても、
「何について書かれてあるのか
よく解らない」という短篇があります。
本作品もそうしたものの一つです。
表面的に書かれてあることは、
「善さん」が、
いかに人の良い人物であるかという
ことだけなのです。
粗筋代わりに掲げた一節に続き、
不器用に肉屋を営んでいたこと、
麻雀に付き合って
いつも負けていたこと、
営んだ雀荘が摘発されても
めげなかったこと、
無心してきた「私」に
快く小遣い銭を貸したこと、
五十を過ぎて
ようやく嫁さんを貰ったこと、
急性アルコール中毒で
死にかけたが助かったこと、などが
延々と続くのです。でも、その中に、
目立たぬようにひっそりと
善さんの「悲しみ」を差し挟んでいます。
その「悲しみ」とは?
戦争です。
戦争体験が善人を苦しめていたのです。
彼が語ったのは、
戦場での非日常的な体験でした。
民間人を刺し殺したことが
語られていますが、
金鵄勲章を貰ったほどですから、
それ以外にも多くの血を
流してしまったのでしょう。
彼の語り口が心を揺さぶります。
「戦争は終わるからいいよ。
ですがね、夢を見ちゃうんだ。
あたしゃ忘れてるんだけど、
身体はちっとも
忘れてくれないんだから」。
おそらく作者が語りたかったことは、
その一節だけだと思うのです。
それをことさらのように
提示するのではなく、
たくさんのオブラートに包んで
そっと差し出したような作品なのです。
本作品の発表は1979年。
「もはや戦後ではない」の言葉が
経済白書に盛り込まれたのが1956年。
そこからさらに23年も過ぎたのです。
それだけの時間がたっても
癒えることのない「戦争の傷跡」を、
本作品は静かに
告発しているかのようです。
救いも用意されています。
善さんの遅すぎる結婚についての
「私」の回顧の一節です。
「家族をつくろうという気に
なったらしい。
彼も、やっと普通の市民の
暮し方をすることを、
自分に許可したようであった」。
社会の片隅で
うまく生きることができずにいる
人間を描き続けた
純文学作家・色川武大らしい、
しみじみとした味わいのある一篇です。
ぜひご賞味あれ。
〔色川武大の作品〕
色川武大の作品は
没後30年以上になる現在でも、
文庫本はかなり流通しています。
注目すべきは
講談社文芸文庫から出ている
「狂人日記」
「小さな部屋・明日泣く」でしょうか。
エッセイについてはこの数年で
いくつか新しく文庫化されています。
「私の旧約聖書」(中公文庫)、
「喰いたい放題」(光文社文庫)などが
見つかります。
なお、私などは阿佐田哲也の
ペンネームの方がなじみがあります。
「麻雀放浪記」は
今でも出版され続けているようです。
※「日本文学100年の名作第7巻」
収録作品一覧
1974|五郎八航空 筒井康隆
1974|長崎奉行始末 柴田錬三郎
1975|花の下もと 円地文子
1975|公然の秘密 安部公房
1975|おおるり 三浦哲郎
1975|動物の葬禮 富岡多惠子
1976|小さな橋で 藤沢周平
1977|ポロポロ 田中小実昌
1978|二ノ橋 柳亭 神吉拓郎
1979|唐来参和 井上ひさし
1979|哭 李恢成
1979|善人ハム 色川武大
1979|干魚と漏電 阿刀田高
1981|夫婦の一日 遠藤周作
1981|石の話 黒井千次
1981|鮒 向田邦子
1982|蘭 竹西寛子
(2022.9.1)
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