「書斎の王様」(「図書」編集部編)

「創造的空間」としての「書斎」

「書斎の王様」(「図書」編集部編)

書斎、ということばが好きだ。
好き、と言うより、
憧れている、と言ったほうが
いいかもしれない。
東京の男の子が巨人軍選手に、
大阪の女の子が宝塚スターに
憧れるのと同じように、
ぼくにとって書斎は
はるかな夢なのである…。
「小田島雄志 書斎憧憬史」

巨人軍やら宝塚やら、
子どもたちが憧れるには
いささか古いものが
挙げられていますが、仕方ありません。
本書の出版は30年以上前の1985年。
書斎への憧れにはじまり、
書斎の自慢、書斎の失敗談、
書斎についての悪戦苦闘、
本書は昭和の時代の
「書斎」事情を集めた本なのです。

〔本書の収録文一覧〕
大江志乃夫 書斎の合理主義
尾崎秀樹 わが家の書庫
小田島雄志 書斎憧憬史
倉田喜弘 新聞記事の収集に賭けて
小泉喜美子 夢みん、いざや
椎名誠 素晴らしいガタゴト机
下村寅太郎 蔵書始末
庄幸司郎
  書斎造りを通して出会った人びと
杉浦明平 地獄化した書斎
立花隆 わが要塞
長瀬清子 女なのに書く場合
林京子 笈(おい)の小箱
星野芳郎 職住分離型書斎の経済的背景
村松貞治郎 本と道具と木と樹
山田宗睦 書斎七遷
由良君美 縁・随縁―集書の不思議
吉野俊彦 書斎・我が城

この17篇を読んで、
読み手が考えざるを得ないのは、
「書斎とは何か」という
根源的な問題です。
一節を冒頭に掲げた
「書斎憧憬史」の小田島雄志氏は、
「結局は喫茶店」ということは、
「著述のための空間」ということ
なのでしょう。
作家の椎名誠氏は「電車の中」、
同じく作家・林京子氏も
放浪しながらの創作活動について
記している以上、「書斎」を
固定された場所とは捉えていません。
本質は「ワーク・スペース」なのでしょう。

一方で大学教授の
星野芳郎氏や大江志乃夫氏は、
作業場としての書斎だけではなく、
そこに「書庫」としての機能の必要を
意識しています。
特に大江氏は「書庫全体が一冊の
個人用百科事典として機能している」と
述べているので、
整理整頓が行き届いているのでしょう。

「書庫」として考えた場合、
「本の重さで床が抜けないのか」という
心配が、素人ながら起こってきます。
評論家の尾崎秀樹氏は、
「重量計算はして、鉄筋コンクリートで
設計してもらった」と記しています。
ところが、同じ評論家の立花隆氏は
「鉄筋コンクリートとはいえ、
床がもつかどうか心配…、
業者にきくと、案の定、
床がもたないという」とあります。
本の重量で床が抜けることは、
実際にあるのです。

「書斎」に必要不可欠なものとしては、
当然「机」が考えられます。
詩人・長瀬清子氏は、
主婦兼業であるため、
「ちゃぶ台」が机と
ならざるを得ないことを記しています。
一方で立花隆氏は
「ゆすってもビクともしない」、
「大人二人で持ち上げるのが
やっとという重量級」の
「約四五万円もする」
「特大のダイニングテーブル」を
購入しています。

一つ気がついたのは、
17名の執筆陣の中で
女性はたったの3名だけです。
「書斎」をもつ女性の数は
圧倒的に少ないのでしょう
(感覚的な想像ですが、
おそらく間違っていないはずです)。
とすれば、「書斎」とは
本質的には「男のエゴ」ということにも
なりそうです。

こうしてみると、
「書斎」は人それぞれでありながらも、
「創造的空間」であることは
共通しています。
著述には無縁の一介の教師であり、
蔵書の多くは文庫本・新書本という
私の「部屋」であっても、
そこで何かを「創造」する限り、
立派な「書斎」なのです
(本書の先生方に比べれば
恥ずかしいものなのですが)。
「書斎」=「創造的空間」を
大切にしたいものです。

(2022.9.13)

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