「朴歯の下駄」(小山清)

恋愛は、しかし実るはずがありません。

「朴歯の下駄」(小山清)
(「百年文庫019 里」)ポプラ社

朴歯の下駄を履いて
廓に通った「私」は
若い妓を紹介される。
まだ十九の「彼女」は、土の匂いが
まだ残っているかのような
素朴さがあった。
「私」は「彼女」のもとへ
通うようになる。
ある日、「彼女」は
日光へ行きたいと
「私」に打ち明ける…。

名前さえ与えられていない「彼女」は、
初々しさのまだ残る遊郭の少女です。
「野の匂い、土の香りのようなものが
 まだ消えずに残っている
 感じだった。
 空に雲雀の囀る畑の中にいる
 彼女の働く姿を
 容易に想い浮かべることができた」

そして学生上がりとも思える
「私」もまた純朴です。
「久留米絣の袷を着て、袴をはいて、
 朴歯の下駄をガラガラ引き摺って
 歩いていた。
 そのほかにどんなよそゆきの
 持ち合せもなかった」

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そんな二人の恋愛は、
しかし実るはずがありません。
「私」は定職も持たずに
新聞配達のアルバイトをしている
貧しい青年に過ぎないからです。
おそらくは小説家志望であり、
アルバイトの傍らで
細々と作品を書いているのでしょう。
遊郭の女を身請けすることなど
できようはずがありません。

「彼女」もそれを見抜いているのです。
だからこそ、どこぞの誰かに
身請けされることが決まったあと、
「私」を日光へと誘ったのです。
せめてもの思い出づくりなのでしょう。

遊郭を舞台にしながらも、
性的な描写は一切なく、
そこが遊郭であることすら
忘れさせるような雰囲気です。
読了後は
すがすがしささえ感じさせる筆致は、
小山清らしいといえるでしょう。

わからなかったのは、
「彼女」の呟いた
「しづちゃんにあげるの」の一言です。
その言葉がなぜ「一滴の水のように、
私の心の中に波紋をひろげた」のか、
そして「私」はその一言をなぜ
「娑婆への告別の辞の如くに呟く」のか。
そもそも「しづちゃん」とは誰なのか。

身請け先の旦那には娘がいて、
その子の名前が「しず」であり、
その呟きによって
自身にに身請けが決まったことを
「彼女」はほのめかして
いるのではないかということ、
その一言は、「私」にとって
ほのかな恋情の結末であり、それ以来、
「彼女」のことが忘れられずに
思いを引きずったままなのでは
ないかということ、
そうしたことが考えられるのですが、
確証はありません。
本作品理解の重要な鍵に違いないので、
時間をかけて考えてみたいと思います。

以前取り上げた「落ち穂拾い」同様に、
さりげない情景描写の奥底に、
深い味わいを秘めた作品です。
ますますこの作家が好きになりました。
他の作品も読んでみたいと思います。

〔「私」とは小山自身か?〕
「僕は、あの、小説家に
なりたいと思っているんだ」の台詞から
推察するに、「私」とは
作者・小山清自身なのでしょう。
事実、小山自身も
新吉原の廓内に生まれ、
生家は兼東楼という貸座敷業を
営んでいましたので、遊郭は
身近な存在だったと考えられます。

〔小山清「落ち穂拾い」〕

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〔小山清の本〕

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