「暗」の芥川に対して「明」の加能
「迷児」(加能作次郎)
(「世の中へ/乳の匂い」)
講談社文芸文庫
意気地のない
子どもであった「私」は、
七歳のとき、叔父に連れられ
京都の祖母の家に行く。
ある日、祖母の家から
叔父のいる六条の家まで
一人で行った帰り、道に迷う。
彷徨っていた「私」に
声をかけてくれた
優しそうな小父さんは…。
加能作次郎の私小説的作品です。
七歳の頃の自分を包み隠さず、
正直に綴った作品と考えられます。
筋書きとしては、迷子になった自身の
経験だけなのですが、
そうなると連想してしまうのが
芥川龍之介の「トロッコ」です。
芥川の描いた「迷子」は、
トロッコで遠くまで運ばれた
少年・良平が、途中で下ろされ、
そこから家までの帰り道の
不安を描いたものでした。
こちらは「私」が目的地までは
簡単に到着したものの、
帰り道で難渋したという筋書きです。
この「トロッコ」の「迷子」は、
実は迷ったわけではありません。
線路を逆に辿れば
もとの地点に戻れるのですから。
「怖くなるほど遠くまで
きてしまった」ということなのです。
ところが本作品の「迷子」の状況は、
完全に道を見失っているのです。
だから自力で帰宅することができず、
「優しそうな小父さん」の
登場となるのです。
しかしこの「小父さん」が曲者でした。
あれこれ歩いたあげく、
途中から面倒になったのか、
「私」の着ていた羽織を
「貸してくれ」と脱がしたまま、
行方をくらましてしまうのです。
この「優しい小父さん」は一体、
善人なのか悪人なのか、
作品中では明らかにされません。
「トロッコ」では、
迷子の思い出を振り返ったあとに、
成人してからの心境が描かれています。
この部分が肝であり、
迷子の経験が良平の心に暗い影を
落としていることがわかります。
「今でもやはりその時のように、
薄暗い藪や坂のある路が、
細細と一すじに断続している。…」。
本作品では、
この善悪不詳の小父さんの行方を
「私」が気にしています。
「あの人はどうしたろう?
―もう死んで了ったであろうか?
それともまだ生きて居るだろうか?
あの小さな出来事が、
今だにあの人の記憶に
残って居るだろうか?
或はまた曾て一度でもその事を
思い出したことがあったろうか?」。
羽織をだまし取った小父さんの心配
(悪事をはたらいたことを
後悔しているかどうかという)まで
しているのですから、
「私」の心に傷を
残したわけではないと思うのです。
むしろ、自身を
「小父さん」なる人物よりも
一段高いところに置き、
「面白い経験をした」というような
捉え方をしているのでしょう。
決して暗くはなっていないのです。
「暗」の芥川に対して「明」の加能。
調べてみると本作品の方が
「トロッコ」よりも
四年ほど早く発表されていました。
隠れた名作といえる逸品です。
秋の夜長の読書にいかがでしょうか。
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〔加能作次郎の本〕
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芥川龍之介の「トロッコ」です。
迷子の少女を保護したことから
事件に巻き込まれ…、
姫山なる正体不明の作家の
ミステリ「指の秘密」です。
こちらは大人の「迷子」、
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異世界で「迷子」になるSF作品は、
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ここでは取り上げません。
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