孤独な魂が止めどなく湧き出してくるかのよう
「掌の中の海」(開高健)
(「日本文学100年の名作第8巻」)
新潮文庫
汐留の小さな酒場に、
毎夜のように通った「私」は、
初老に近い「高田先生」なる人物と
知り合う。
元医師の先生は、
息子がスキューバ・ダイビングで
行方不明となって以来、
船医として息子が眠る
海の守として
生きているのだという…。
筋書きではなく、
人物とその「雰囲気」だけで
読ませる小説があるとすれば、
その代表が本作品かも知れません。
「私」の語る「先生」の描写からは、
男の孤独な魂が止めどなく
湧き出してくるかのようです。
表題の「掌の中の海」とは、
「先生」が唯一蒐集している
宝石アクアマリンのことです。
この世のすべてと手を切ることが
できたと思っていた「先生」が、
どうしても再び惹かれてしまったのが
この宝石なのです。
値段などという「価値」ではありません。
最後の自身の住処と決めた「海」を、
凝縮して湛えているかのような
その石の美しさに
惹かれてのことなのでしょう。
「これは海の色の他の何でもないが、
北の海ではなくて、
まぎれもなく陽光に輝く
南の海のものであろう」。
その石の放つ
生命の躍動感とは対比的に、
「先生」の身体からはそこはかとない
孤独が溢れ出ているのが
哀しみを誘います。
では、「先生」はどんな人なのか?
酒場での「先生」の振る舞いが、
まずは孤独の影を帯びています。
「オールド・パーをダブルで、
ストレートで、
それに氷水を添えて」
「頬張って長い、感じやすそうな指で
グラスをつまみあげ、
一滴ずつ噛むようにしてすすり、
そのあとゆっくりと
水を一口すする」。
決して誰かと酒を楽しむような
飲み方ではなく、
一人で自らの内面と向き合うような
酒の嗜み方なのです。
静かに語られる「先生」の生き方も
孤独に溢れています。
「外洋航路の貨物船に乗り込む。
あの航路、この海、
気の向くままに出かけて行く」。
しかし海を楽しんでいるのでは
ないようです。
船に持ち込むのは
トルストイの「戦争と平和」、
中里介山の「大菩薩峠」、それらを
「これから老いらくの眼と心で
じっくり最後まで
読みとおしてやろう」。
ここにも自身の内側へと向かう心が
読み取れます。
それも致し方ありません。
妻と息子に先立たれたのですから。
初老に差し掛かってから医院をたたみ、
自宅を売り払い、すべてを処分し、
船医として海に出て、
スキューバ・ダイビングで
行方不明となった息子の墓守の心境で
余生を過ごしているのです。
海は、「先生」にとって
墓としての存在なのです。
だからこそ、
生命の源である海を凝縮したような
アクアマリンを掌に転がしていると、
自身の魂の孤独を、
よりまざまざと
突きつけられてしまうのでしょう。
終末の、
救いの感じられない描写からは、
男はこうした哀しみを背負って
老いていくしかないのだという印象を
強く受けてしまいます。
酒を愛し、人を愛した作家・開高健が、
密かに愛していたもう一つが
「宝石」でした。
酒・人・宝石の描かれた珠玉の一篇、
ぜひご賞味ください。
〔本作品収録書籍〕
本作品はこちらにも収録されています。
〔本書収録作品一覧〕
1984|極楽まくらおとし図 深沢七郎
1984|美しい夏 佐藤泰志
1985|半日の放浪 高井有一
1986|薄情くじら 田辺聖子
1987|慶安御前試合 隆慶一郎
1989|力道山の弟 宮本輝
1989|出口 尾辻克彦
1990|掌のなかの海 開高健
1990|ひよこの眼 山田詠美
1991|白いメリーさん 中島らも
1992|鮨 阿川弘之
1993|夏草 大城立裕
1993|神無月 宮部みゆき
1993|ものがたり 北村薫
(2022.11.10)
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