まったく別の作品に生まれ変わっていると言っていいくらい
「金田一耕助の帰還」(横溝正史)
光文社文庫
「毒の矢」
緑ヶ丘一帯に届けられた、
「黄金の矢」を語る差出人による
悪意に満ちた密告状。
悪戯と考えられていたが、
ついには殺人事件が
引き起こされる。
裕福な未亡人の背中に彫られた
ハートのクイーン。
そこに深々と
突き立てられた矢は…。
横溝正史の金田一耕助シリーズの
原形作品を集めた本書、
全8篇の紹介を先日終えました。
「原形作品など完成形に至る途中経過に
過ぎないではないか」と言うなかれ。
横溝の「原形作品」は、
それ自体で一つの完結した作品であり、
ミステリの旨味が凝縮された
味わい深いものばかりなのです。
「トランプ台上の首」
アパートの部屋で発見された
ストリッパー・アケミの死体。
それはなんとトランプ台の上に
載せられた生首だけであった。
その数日後、
アケミのパトロンが
死体で発見されるが、
死亡したのはアケミより前だった
可能性が。金田一は…。
これまでも書きましたが、
原形作品を読めば、横溝の創作上の
思考を読み取ることができます。
本書に収められた作品群は
いわば「骨格」であり、
横溝はどのように
「肉付け」を行っていたのかを
知ることができるのです。
「貸しボート十三号」
白昼の隅田川に浮かぶ
一艘の貸しボートには、
血まみれの男女の
凄惨な死体が横たわっていた。
不思議なことに二つの死骸は、
どちらも首が途中まで
切断されかかった状態だった。
なぜ犯人は切断を中止したのか?
金田一耕助は…。
作品ごとに、
その「肉付け」の内容は異なりますが、
大まかな共通点を挙げるとすれば、
一つは警察の取り調べの詳細な内容を
追加していることでしょう。
雑誌連載時は、
どうしても展開をスピーディにする
必要があったのか、
警察による捜査が
丹念には描かれていません。
しかし改稿によって
それが付け足され、
事件がより複雑化しているのです。
「支那扇の女」
成城の住宅街で起きた
二重殺人事件。現場から
半狂乱で逃げ出した女は、
自殺を図るが警官に止められる。
その女・美奈子と、
夫である朝井照三は、
それぞれの大伯母・大伯父が、
事件の加害者・被害者であると
いう因縁を抱えていた…。
もう一つは、登場人物一人一人が
丁寧に描かれるように
なっていることでしょうか。
それによって、
すべての登場人物が「怪しさ」を増し、
誰が犯人であるかが
巧妙に隠蔽されているのです。
また、一人一人に
役割が与えられることにより、
人物像に立体感が加わり、
作品に奥行きが生じているのです。
「壺の中の女」
画家がアトリエで
何者かに刺殺される。
使用人は血まみれのナイフを
握りしめた女が、
体をくねらせて壺の中に
入っていこうとしているのを
目撃したという。
現場には曲芸に使用される
大きな壺が。
捜査線上には
曲芸師の美少女が…。
では、どのくらいの分量が
追加になっているのか?
「毒の矢」「トランプ台上の首」などは
約2倍の増量ですんでいるのですが、
「貸しボート十三号」で約4倍、
「扉の中の女」→「扉の影の女」で約7倍、
「迷路荘の怪人」
→「迷路荘の惨劇」で約10倍、
「渦の中の女」→「白と黒」で
なんと約22倍と、
「改稿」という範囲を遙かに超え、
まったく別の作品に
生まれ変わっていると言って
いいくらいなのです。
「扉の中の女」
依頼人からの話に、
金田一は興味を覚える。
自らの恋敵が殺害される現場を
目撃したというのだ。
このままでは
自分が犯人として疑われる、
あるいは犯人に殺される。
依頼人は現場に落ちていた
ハット・ピンと手紙の切れ端を
提示し…。
先日記したように、
おそらく横溝は雑誌掲載の
分量と締め切りを勘案して、
自らの構想の骨格部分に絞って
掲載に間に合わせたのではないかと
思われます。そして
単行本収録の要請を受けた段階で、
自分の本来描きたかったことの
すべてを書き尽くしたのでしょう。
「迷路荘の怪人」
近々ホテルとして
営業を開始する名琅荘は、
かつて持ち主が
暗殺を恐れて拵えた抜け道や
どんでん返しなどが多数存在する
いわく付きの建物だった。
招かれた金田一が
現当主・篠崎慎吾と
歓談しているとき、
突如として殺人事件が…。
同じ時代の作家・乱歩の場合は、
こうした雑誌掲載時の原稿に、
徹底的に手を加えるようなことは
していません。
ミステリ作家としては
横溝特有のものと考えられます
(ミステリ作家の一部しか
知らないのですが)。
「渦の中の女」
依頼人・緒方順子の持参した
手紙には、恐ろしいまでの
悪意が満ちていた。
忌々しい告発文書が団地内で
横行しているのだという。
その翌日、依頼人の住む団地内で
殺人事件が発生する。
現場から依頼人の夫が
立ち去るのが目撃され…。
金田一耕助シリーズも、
原形以外の77作品すべてが
復刊しました。
今こそ横溝作品を、
原形と完成形の両方を
存分に読み味わえるようになりました。
すべてのミステリファンに、
お薦めします。
〔それぞれの完成作品〕
「毒の矢」
「トランプ台上の首」
「貸しボート十三号」
「支那扇の女」
「壺中美人」
「白と黒」
「扉の影の女」
「迷路荘の惨劇」
〔その他の原形作品〕
(2022.11.11)
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