孤高の人間の魂が炙り出されてくるよう
「海辺の悲劇」(バルザック/水野亮訳)
(「百年文庫020 掟」)ポプラ社
案内人は迂回路を選択したが、
「ぼく」とポーリーヌは
岬を通る道を選ぶ。そこには
ある男がいるのだという。
案内人の言うとおり、
岩山の花崗岩の一角に
その男は座っていた。
その男は、恐ろしいまでの
悔悟をしているのだという…。
男は何の罪を
悔い改めようとしているのか?
子殺しです。
溺愛のあまり、
我が儘に育ってしまった息子は、
成人し、放蕩を尽くしたあげく、
一家の財産を使い果たし、
従妹の養育費も
使い込んでしまうのです。
男は息子を簀巻きにして
海へ放り込みます。
【主要登場人物】
「ぼく」(ルイ)
…語り手。岬の岩の上にたたずむ男を
目撃し、その経緯を知る。
ポーリーヌ
…「ぼく」の恋人。
「ぼく」とともに男を目撃。
案内人
…貧しい漁師。「男」の真実を語る。
ピエール・カンブルメール
…岩の上で悔悟する男。
かつて我が子を殺した。
ジャック・カンブルメール
…ピエールの息子。我が儘に育つ。
ジョセフ・カンブルメール
…ピエールの弟。
ペロット…ジョセフの娘。
ピエールは残虐な男だったのか?
いいえ、違います。
愛情過多のため、
子ども(ジャック)をしっかり
躾けることを知らなかったのです。
ピエールは自分には厳しく
他人には優しい、
倫理観の強い人間でした。
決して貧相な
心の持ち主ではないのです。
「子殺し」などと聞くと、
児童虐待のニュースの頻繁に
飛び込んでくる我が国にあっては、
「毒親」の最たるもののような
感覚がありますが、
ピエールは決してそうではないのです。
しかも警察機構の整備されていない、
19世紀半ばのフランスの片田舎です。
このままであればいずれジャックは
人の道を大きく外れることは
間違いありません。
父親として、
そうなる前に決着をつけることは、
当時の、この地の状況を考えたとき、
さほど不自然な選択とは思えません。
バルザックはそうした背景を
実に見事に描写し、
読み手の心に迫っているのです。
人倫にもとる行いをした息子を、
自らの手で処刑する筋書きは、
実はほかにも見られます。
同じフランスの作家・メリメによる
「マテオ・ファルコーネ」です。
マテオ・ファルコーネの息子・
フォルトゥナートが
留守番をしていたとき、
足に怪我を負った
お尋ね者・ジャネットが
逃げこんできます。
マテオを頼ってきたのです。
フォルトゥナートは
彼を一度は匿うものの、
銀時計をくれるという
警察隊長・ガンバの甘言に乗せられ、
彼を引き渡してしまうのです。
警察隊が立ち去ったあと、
マテオは息子をどうしたか?
祈りを捧げさせ、
迷いもせず銃で撃ち抜いたのです。
当然の「裁き」をしたと考えている
マテオに対して、本作品のピエールは、
それを悔悟している点が
異なるところでしょう。
しかしその悔悟は、
息子を処罰したことではなく、
そうせざるを得ないような
育て方をしてしまった自らを、
厳しく責め立てているように
感じられます。
「その悔悟は、声にも出ない
絶望の絶えざる祈りの波に
溺れておりました」。
限りなく深い悔悟、
絶望にも似た懺悔、
人間としての尊厳、
崇高なる意志。
カンブルメールの姿からは、
そうした孤高の人間の魂が
炙り出されてくるようです。
自作の作品のほとんどを
「人間喜劇」というテーマで統一し、
フランス社会のミニチュアを
作品世界に凝縮しようとした
作家・バルザック。
本作品はしかし、
「喜劇」とは対極にある、
究極の悲劇を描き出しています。
〔本書収録作品〕
「爪王」戸川幸夫
「焚火」ジャック・ロンドン
「海辺の悲劇」バルザック
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