「一角獣」(小池真理子)

自らの感情を伝える言葉、三者三様の

「一角獣」(小池真理子)
(「日本文学100年の名作第9巻」)
 新潮文庫

「日本文学100年の名作第9巻」新潮文庫

成り行き任せのように、
男に身を任せてきた「女」は、
ある版画家の家政婦となる。
版画家は、
無口でぶっきらぼうな男だった。
シロという
気難しい猫を飼っていた。
「女」と版画家と猫の生活が
安定しかけたとき、
版画家は銃で頭を…。

「女」は、
自らの感情を伝える言葉を知らず、
三十二歳のそのときまで
育ってきました。
まともな教育を受けることができず、
感情を言葉で人に伝えるすべを
身に付けることができなかったのです。
彼女にとって言葉とは
「自らの肉体」なのでしょう。
自分の意志とは関わりなく、
相手の男はその肉体に惹かれ、
皆同じような行為をして
通り過ぎていく。
男の要求に沿って
身体を重ね合わせることが、
彼女にとっての
コミュニケーションだったと
考えられます。

版画家は、
自らの感情を伝える言葉を拒絶し、
内面を語ることを潔しとしない
生き方を選択しています。
彼の言葉は宙を彷徨い、
発した自らに帰って行くのです。
他者に発したのではなく、
自らに言い聞かせるような言葉の数々。
その言葉は豊穣であり、
彼自身の内面の豊かさを
象徴しながらも、
その言葉が帯びている悲しみもまた、
彼自身が湛えた悲しみの深さを
表しているのです。

当然、そこに交わりはありません。
版画家の眼には
「女」は写っていないのですから、
肉体の交わりはなく、
版画家の言葉は彼の心を
表していないので、
感情の交わりもありません。
しかしそれでいながら、
「女」は版画家から
多くのものを吸収しているのです。
「言葉は難しく感じられたが、
 何を言われているのかは、
 漠然と理解できた。
 何か素晴らしいこと、
 これまで誰ひとりとして
 考えもしなかったことを
 この人は私に向かって
 教えようとしてくれている」

その「交わることのない」二人を
結びつけていたのが、
版画家が「一角獣のよう」と喩えた
飼い猫シロなのでしょう。

猫は、
自らの感情を伝える言葉を持ちません。
しかしながら、
その人間の感情を
正確に理解できているのでしょう。
そして猫は、
「交わることのない」二人を、
緩やかに結びつける存在として
機能しています。
猫を介して「女」は版画家に好意を寄せ、
猫を介して版画家の深い悲しみの片鱗が
「女」に伝わったとき、
版画家は自ら命を絶ったのです。

「女は、ただ待ち続けている」
最後の一文、
何かを待ち続ける「女」の描写が、
そこはかとない悲しみを伝えます。
版画家の悲しみを、
あたかも「女」が継承したかのような
描出です。
冷たく澄んだ冬の湖面を
覗き見るような、味わい深い一篇です。

〔本書収録作品一覧〕
1994|塩山再訪 辻原登
1995|梅の蕾 吉村昭
1996|ラブ・レター 浅田次郎
1997|年賀状 林真理子
1997|望潮 村田喜代子
1997|初天神 津村節子
1997|さやさや 川上弘美
1998|ホーム・パーティー 新津きよみ
1999|セッちゃん 重松清
1999|アイロンのある風景 村上春樹
2000|田所さん 吉本ばなな
2000| 山本文緒
2001|一角獣 小池真理子
2001|清水夫妻 江國香織
2003|ピラニア 堀江敏幸
2003|散り花 乙川優三郎

(2022.11.17)

Anja-#pray for ukraine# #helping hands# stop the warによるPixabayからの画像

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