「小公子」(バーネット)①

本書は若松賤子の児童文学への情熱の結晶

「小公子」(バーネット/若松賤子訳)
 岩波文庫

岩波文庫「小公子」

セドリックには、
誰も云うて聞かせる人が
有りませんかッたから、
何も知らないでゐたのでした。
おとッさんは、
イギリス人だッたと
云ふこと丈は、
おッかさんに聞いて、
知つてゐましたが、
おとッさんが、
おかくれになつたのは…。

冒頭の一節から衝撃的な日本語です。
「云うて」「ゐた」であれば
旧仮名遣いで済ませられるのですが、
「有りませんかッたから」など、
日本語として滑稽以外の
何物でもありません。
いったいこれは何の文章?

驚くのも無理はありません。
本作品はかのバーネットの名作を、
明治25年に当時の児童文学者・
若松賤子が訳した、本邦最初期の
子ども向け翻訳作品なのですから。

文明開化したものの、
本などまだまだ高価で、
子どもどころか一般の大人でさえ
本の購入が難しかった時代なのです。
そんな時代に、海外の良作を
日本の子どもたちに紹介しようと
果敢に挑んだ本作品、
「古くさい」「滑稽」などと
笑っているわけにはまいりません。

そもそもこの時代は
言文一致運動がはじまっていて、
従来の文語文を、
いかに口語文に近づけるか、
文筆家それぞれが試行錯誤を
繰り返していた時代なのです。
その変遷を詳らかにしているのは、
同じ岩波文庫から出ている
「日本児童文学名作集(上)」でしょう。
文語文の作品に混じって、
若松の作品も収められています。
「話しますとも、
 直き話せっちまいますよ。」

「忘れ形見」(若松賤子)。

中にはこんなのもあります。
「三角定規わムクムクと床を出て…
 彼の画板の寝ている処え、…。」

「三角と四角」(巌谷小波)。

海外作品を数多く翻訳・紹介した
女性児童文学者といえば、
村岡花子の名前が
真っ先に思い浮かびます。
しかし若松はその村岡より
四半世紀も前に生まれているのです。
翻訳の苦労は現代の私たちの想像を
はるかに超えたものだったのでは
ないかと思うのです。

村岡にくらべて
若松の知名度が低いのは、
その文体が文語体から口語体へ
移行する過渡期のものであり、
現代では
通用しにくいものであることと、
若松が31歳という若さで夭折したため、
本作品「小公子」以外、
目立った翻訳作品がなかったことが
禍したのでしょう。
もし、若松にもう少しの
命が与えられていたなら…、
もしかしたらこの国の読書環境は
今よりも数段良くなっていた
可能性があります。

本書はバーネットの、というよりも、
若松賤子の児童文学への
情熱の結晶として接するべき作品です。
作品そのものについては後日記します。

〔関連記事:若松賤子作品〕

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(2022.11.28)

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