「訴訟」(カフカ)

「カフカがこんなに軽くていいのか」という衝撃

「訴訟」(カフカ/丘沢静也訳)
 光文社古典新訳文庫

「訴訟」光文社古典新訳文庫

ある朝、
自室で突然逮捕されたK。
逮捕の理由は?
罪状は?
一切が不明のまま、
第一回の審理は始まる。
しかしそこでも
何も明らかにはならない。
そもそも古アパートの
屋根裏部屋であるここは
裁判所なのか?
謎が渦巻く中、Kは…。

本年10月17日付で掲載した
カフカ「審判」(本野亨一訳)と
同じ粗筋を載せました。
当然です。
もともと同じ「Der Process」の
翻訳ですから。でも
邦題が変化しただけではありません。
筋書きは同じであるにもかかわらず、
読後に受ける印象は
まったく異なるのです。
終始暗雲漂うような展開の
本野役とは違い、
本書・丘沢訳の方は「軽い」のです。
ところどころ「コント的」といっても
いいくらいの部分もあります。
これまでカフカを
読んできた方であれば、
「カフカがこんなに軽くていいのか」と
憤慨されるのではないでしょうか。

【主要登場人物】
ヨーゼフ・K
…銀行員(主任)。アパートに住む。
 独身。ある朝突然「逮捕」される。
グルーバハ夫人
…Kの家主の老婦人。
ビュルストナー
…Kの隣室の女性。
監督・監視人
…Kに逮捕の手続きを行った三人。
 監視人二人の名前は
 フランツとヴィレム。
ラーベンシュタイナー、
クリッヒ、カミーナー

…Kの監視をする三人。
 Kの勤める銀行の職員。
アルベルト
…Kの叔父。
 Kの逮捕を知り、弁護士を紹介する。
フルト
…弁護士。Kの弁護を担当するが、
 手続きは進展しない。
レーニ
…フルドの住み込み看護婦兼女中。
ブロック
…商人。フルドに弁護を依頼している。
ティトレリ
…法廷画家。Kの支援を約束。
聖職者
…Kに「掟の前」を説話する。

この読後感の違いには理由があります。
角川文庫版「審判」の本野亨一訳が
従来からある
「ブロート編集版カフカ全集」の
翻訳であるのに対し、
この光文社古典新訳文庫版「訴訟」は
「史的批判版カフカ全集」に
拠ったものなのです。

現代の私たちからすれば
想像できないのですが、
生前カフカは無名の作家でした。
没年1924年段階では出版された作品は
ごくわずかにすぎません。
そしてカフカは自らの作品
(未完の小説や日記、手紙を含む)を
すべて破棄するよう遺
言していたのです。
その遺言が正しく実行されていれば、
おそらくカフカの名前は
現在も知られることなく
歴史に埋もれていたことでしょう。

その遺言に逆らって
カフカの作品を世に送り出したのが、
カフカの親友でチェコの作家である
マックス・ブロートなのです。
彼は未完作品も「編集」した上で出版、
多くのカフカ作品が埋もれることなく
陽の目を見たのですが、
実はそれは「カフカ」ではなく
「ブロートが編集したカフカ」なのです。
それも単に
「編集」の問題だけではないようです。
本書の翻訳者・丘沢静也氏は、
巻末の解説の中で
次のように記しています。
「ブロートはカフカを
 宗教思想家に仕立てようとした。
 そのせいもあって、
 まじめで深刻な「カフカ」像が
 流通するようになり、
 しかつめらしい顔をして
 「カフカ」が語られ、
 「カフカ」が論じられるように
 なったのかも知れない」

その「ブロート版カフカ全集」に対して
「批判版カフカ全集」が登場、
さらにそれすらも批判する
「史的批判版カフカ全集」が現れ、
これが現在のカフカ全集の
最新版となっているのです。

ところが本作品「Der Process」は
草稿段階で創作が中断されていたため、
問題は複雑です。
「ブロート版」も「批判版」も、
草稿として残されたものの
前後関係を考え、
一つの流れを確定させ、
「章」として完成していない断片を
最後に配置するという
方法をとっています。
現実的な対処法と考えられます。
一方、「史的批判版」は、
それらの流れの確定しない、
ありのままで
出版しようとしたものです。
なんと全16編を16分冊にし、
一つのボックスに収めるという
画期的なものでした。

いくら何でもそれでは「文庫本」として
出版できるはずがありません。
本書・光文社古典新訳文庫版は、
翻訳自体は「史的批判版」に
準拠しながらも、
「ブロート版」「批判版」の確定させた
一つの流れを踏襲するという折衷型で
編まれたものなのです
(これも実に現実的です)。

丘沢静也訳の「変身」も読みましたが、
本書はそれ以上の「軽さ」があり、
新しい時代の「カフカ像」を
感じさせることは間違いありません。
カフカは本来重苦しい作品を
書いたのではなかったのでしょう。
本作品も、主人公Kが
理由も知らされずに逮捕され、
最後は処刑されるという
大筋だけを取れば、
そこには鈍重な
悲壮感しか感じられないのですが、
Kの行動の多くは滑稽であり、
読み手をクスリとさせる
ユーモアに満ちています。

海外作品については、
邦訳の読み比べという読書の方法が
これから広がるかも知れません。
各出版社で海外作品の「新訳」が
次々と刊行されているのは
喜ばしいことです。
カフカはもう読み飽きたというあなた、
ぜひ丘沢訳をお試し下さい。

※丘沢静也訳のカフカ作品は、
 光文社古典新訳文庫から
 「田舎医者/断食芸人/流刑地で」も
 出版されています。

〔関連記事:カフカの作品〕

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