かつてミステリはこんなにも面白かった
「完全犯罪」(小栗虫太郎)
(「新青年傑作選集3」)角川文庫

「完全犯罪」(小栗虫太郎)
(「小栗虫太郎集 完全犯罪」)ちくま文庫

娼婦ヘッダの
異様な笑い声とともに
聞こえてきた男の太い忍び笑い。
部屋には
彼女一人しかいないはず。
不審に思った士官が覗き見たが、
ヘッダはベッドの上で
一人で眠っていた。
だが翌朝、ヘッダはそこで
死体となって発見され…。
昭和8年に発表された、
小栗虫太郎の処女作です。
日本探偵小説黎明期に書かれた、
一風変わった肌触りの作品です。
「主要登場人物」を見ていただければ
わかるように、舞台は中国、
日本人は一人も登場せず、
スパイ小説と間違えそうな外見です。
【主要登場人物】
ワシリー・ザロフ
…苗族共産軍指揮官。
政治警察附帯の殺人事件を
次々と解決している。
密室殺人の謎解きを試みる。
ピョートル・ヤンシン…苗族共産軍軍医。
鵬輝林…苗族共産軍政治部長。
汪済沢…苗族共産軍航空指令。
葉稚博…苗族共産軍砲兵指令。
鄭大鈞…苗族共産軍歩哨。
ヘッダ・ミュヘレッツェ
…士官専門の娼婦。
「ミュヘレッツェ」は故国では
差別されてきた姓。
一族最後の生き残り。
死体で発見される。
エリザベス・ローレル
…英国人の医師、細菌学者。
「八仙寨から一歩も踏み出しては
ならん」という父の遺言を
守り続けている。
【作品舞台背景】
時代…193x年5月。
第1次国共内戦戦時中。
舞台…中国大陸。
湖南省西端の八仙寨。
※八仙寨は架空の地名。
中国奥地の山村という設定。
人物の所属
…通称「苗族共産軍」
=中華ソヴェート共和国西域正規軍
※「苗族」→ミャオ族。
中国の少数民族の一つ。
※中華ソヴェート共和国
→中華ソビエト共和国。
1931年に中国共産党が
樹立した政権。1937年消滅。
本作品の味わいどころ①
完全密室殺人の謎解き推理
スパイ大作戦ではありません。
本作品の肝の一つは
「密室殺人の謎解き」です。
窓からの侵入の形跡なし、
たった一つの出入り口の前には
将校4人が麻雀、
死亡の前に被害者ヘッダがあげた
不思議な笑い声、
そして男声らしき野太い声の存在、
直後に一人が覗いたときには変化なし。
まさに魔術としか思われない犯罪が
演じられるのです。
その謎解きの妙をご賞味ください。
本作品の味わいどころ②
限定された中での犯人捜し
中国の山間の土地であり、
部外者はほとんど登場しません。
登場人物はわずか8人。
本来容易であるはずなのですが、
犯人の特定は困難を極めます。
横溝正史の金田一シリーズなどは
「登場人物の誰もが怪しい」のですが、
本作品の場合は
「誰もが怪しくない」のです。
では犯人はいったい…?
その謎解きの妙をご賞味ください。
本作品の味わいどころ③
名探偵ザロフの名(迷)推理
わずか8人の登場人物の中で
探偵役を務めるのが指揮官ザロフです。
彼は「GPUの脳髄」といわれ、
政治がらみの事件を中心に、
殺人事件を次々に解決してきた
名探偵なのです。
その経歴は決して誇張ではなく、
密室殺人の仕組みを
丹念に解明していくのです。
しかし、なんと…、
最終的には彼の推理の多くは
「はずれ」ているのです。
しかも新証拠を捏造して
犯人を罠にかけようとするなど、
違法ともいえる捜査も
平気で行っています。
もはや名探偵なのか迷探偵なのか
わかりません。
読み手をさらに煙に巻こうとする
作者の巧妙な仕掛けによって
謎は一層深まるのです。
その謎解きの妙をご賞味ください。
探偵小説とはどうあるべきか?
江戸川乱歩、横溝正史、
木々高太郎、小酒井不木、
角田喜久雄、甲賀三郎、
平林初之輔などなど、
多くの作家たちが己の立ち位置を
模索していた時代でした。
その中で新人・小栗虫太郎が打ち立てた
作品世界は、他には見られない
独創性に満ちています。
かつてミステリは
こんなにも面白かった。
頁が変色し、ボロボロになった古書
「新青年傑作選集」を読む度に
そう感じます。
〔「新青年傑作選集3」〕
振動魔 海野十三
カナカナ姫 水谷隼
監獄部屋 羽志主水
完全犯罪 小栗虫太郎
偽悪病患者 大下宇陀児
赤いペンキを買った女 葛山二朗
地図にない街 橋本五郎
二川家殺人事件 甲賀三郎
〔「小栗虫太郎集 完全犯罪」〕
完全犯罪
白蟻
海峡天地会
紅毛傾城
源内焼六術和尚
倶利伽羅信号
地虫
屍体七十五歩にて死す
方子と末起
月と陽と暗い星
(2022.12.28)

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「3 骨まで凍る殺人事件」
「4 一人で夜読むな」
「5 おお、痛快無比!!」
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