「陰獣」(江戸川乱歩)

単なる猟奇的小説ではありません。傑作です。

「陰獣」(江戸川乱歩)
(「江戸川乱歩全集第3巻」)光文社文庫

「江戸川乱歩全集第3巻」光文社文庫

「かつて捨てた男・平田から
脅迫されている」。
静子から打ち明けられた
寒川は驚く。
その男は謎の探偵作家といわれる
大江春泥の本名だったからだ。
寒川は春泥の行方を調べるが、
静子に届いた脅迫状の通り、
静子の夫が殺害される…。

江戸川乱歩の傑作「陰獣」です。
これほどまでに短くて、
これほどまでに背筋を
ざわざわさせるような表題が
あったでしょうか。
乱歩でなくては
思いつかない表題であり、
乱歩でなければ
書き得なかった小説です。

【主要登場人物】
「私」(寒川)
…語り手。探偵小説作家。
 道徳観のある人間。
小山田静子
…春泥に脅迫される。親しくなった
 寒川に相談を持ち掛ける。
小山田六郎
…静子の夫。
 静子とは年齢が離れている。
大江春泥
…本名・平田一郎。
 謎に満ちた探偵作家。
 病的で陰湿、厭人癖。
 かつて静子と交際していたが、
 捨てられたことで彼女に恨みを持つ。
本田
…寒川の友人。博文館社員。
 大江春泥本人と会話したことがある。
糸崎
…小山田六郎変死事件担当検事。
青木民蔵
…小山田家御用達の運転手。

本作品の味わいどころ①
読み手も引き込まれる巧妙な仕掛け

単なる猟奇的小説ではありません。
主人公が語り手となっているため、
まるで読み手自身が
経験しているかのような
臨場感が感じられ、作品世界に
ぐいぐいと引き込まれてしまうのです。
前半は読み手自身が
春泥の行方を追いかけ、
中盤では読み手自身が
事件の謎解きを試み、
終末では読み手自身が
官能の虜となってしまうのです。
いけない、いけない、取り込まれては。
自制心を発揮しないと
大変なことになります。

本作品の味わいどころ②
自作パロディと自虐ネタと悪い冗談

単なる猟奇的小説ではありません。
小説のいたるところに乱歩は
読み手をクスリとさせる仕掛けを
施しているのです。
自作のパロディを潜ませ、
自虐ネタを織り交ぜ、
他の作家に叱られるであろう
悪い冗談を配置し、
読み手の緊張感を
意図的に緩ませようとしているのです。
いけない、いけない、騙されては。
集中力を発揮しないと
作品から取り残されてしまいます。

本作品の味わいどころ③
乱歩特有のなまめかしい女性の魅力

単なる猟奇的小説ではありません、
とはいえないのが終末部分です。
静子に陥落していく「私」とともに、
読み手も倒錯した官能世界へと
堕とされていくのです。
この女性のなまめかしい
魅力の描写こそ、
乱歩の傑出した創作技能なのです。
後の作品の妖艶な女性像は、
まさにこの静子の
延長線上にあると言っていいでしょう。
いけない、いけない、
落ち込んでいっては。
でも心地よく落ちてしまっていることに
読み手は気づかざるを得ないのです。

結末の曖昧さも乱歩の仕掛けた罠です。
幾重にも読み取りが可能であり、
読後も作品からなかなか
現実に戻ることができないのです。
単なる猟奇的小説ではありません。
乱歩の傑作であり、
日本探偵小説の
一つの頂点といえるのです。
あなたも乱歩世界に
落ち込んでみませんか。

〔本作品に見られる自作パロディ〕
作品中に登場する
大江春泥の小説の表題は、
乱歩作品のパロディです。
「屋根裏の遊戯」→「屋根裏の散歩者」
「一枚の切手」→「一枚の切符」
「B坂の殺人」→「D坂の殺人事件」
「パノラマ国」→「パノラマ島綺譚」
「一人二役」→「一人二役」
「一銭銅貨」→「二銭銅貨」

〔本作品に見られる自虐ネタ〕
大江春泥のモデルは
明らかに乱歩自身です。
その春泥を描写するにあたって
「作風が暗く、病的で、ネチネチしていた」
「空想的犯罪生活者」
「並々ならぬ猜疑心、秘密癖、
残虐性を以て満たされていた」と、
辛辣にこき下ろしています。
正直に書いたと言えばそれまでですが、
かなり自虐的であり、
ブラックなユーモアが漂っています。

〔本作品に見られる悪い冗談〕
さらに本作品には
他の作家も巻き込まれています。
主人公・寒川のモデルは
甲賀三郎といわれています。
語り手・寒川に自身を
「ごく健全で、
理智的な探偵の径路にのみ興味を持ち、
犯罪者の心理などには
一向頓着しない様な作家」と
語らせることによって
持ち上げておいて、
終盤では官能の世界へと投げ込みます。
本人が読んで
果たして「面白い」と感じたかどうか。
甲賀は本作品を評して「取り立てて
光っていないかも知れない」と
記したことを考えると、
内心面白くなかったのかも知れません。

〔最後に〕
あまりにも乱歩らしい作品であるため、
その表面的な「面白さ」を
拾い上げましたが、
本作品の真価はその表層を
そぎ落としたときに表れてくる
「本格探偵小説」の素顔にあります。
いつかその点を
じっくり追究してみたいと思います。

〔本書収録作品一覧〕
踊る一寸法師
毒草
覆面の舞踏者
灰神楽
火星の運河
五階の窓
モノグラム
お勢登場
人でなしの恋
鏡地獄
木馬は廻る
空中紳士
陰獣
芋虫
私と乱歩 間村俊一

(2022.12.29)

StockSnapによるPixabayからの画像

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