常識の範囲内では受け入れ不可能の未来の到来
「第四間氷期」(安部公房)新潮文庫

先生は、未来というものを、
日常の連続としてしか
想像できなかった。
断絶した未来
…この現実を否定し、
破壊してしまうかも
しれないような、
飛躍した未来には、
ついて行くことが出来なかった。
先生は
ひどく楽観主義的だった…。
前回は、安部公房の本作品について、
その先見性を中心に記事を記しました。
しかし本作品の主題は、
「断絶した未来」を受け入れるのか
拒絶するのかということではないかと
思うのです。
終盤で提示される世界の未来像は、
陸地のほぼすべてが水没し、
人類が開発した「水棲人」が
その文明を引き継ぐという
衝撃的なものでした。
人類に明るい未来がないと
明確になったとき、
自らは滅びても次の継承者を
創り出すことを是とするか、
その創出の道義的な
負の側面に注目して非とするか、
それが
主人公「私」に試された課題であり、
さらには私たち読み手に課された
答えのない宿題なのです。
新人類としての「水棲人」を
創り出すために影の組織が行ったのは、
人権や道徳、医療に関する倫理を
片っ端から踏みにじった、
醜悪なものでした。
「常識」ある「私」は、
それをまったく理解できず、
頭から拒絶します。
自らの命が奪われようとしていても、
それに迎合することができないのです。
それは「常識」的な範囲で考えたときは
「正解」なのですが、
世界はまさに危機に瀕し、
非合法的手段を講じなければ
人類はそのまま死滅してしまうという
本作品の状況において、
果たして「正解」なのか「誤答」なのか、
読み手は踏み絵に近い選択を
迫られます。
安部はそれを「断絶した未来」と
表現しています。
日常の延長線上に存在するのが
滅亡であり、そこに存在しない未来。
自らは享受できないものの、
次の世代が受け取ることの可能な未来。
現在の常識を逸脱した方法でなければ
到達し得ない未来。
その未来の是非が問われているのです。
人類の後継者として
水棲人を創出する、などという
SF的発想でなくても、
現代社会においても
十分探し出すことができます。
例えば、この国の形をどうするか?
このままでは少子高齢化が進み、
人口減少に歯止めがかからず、
日本という国が衰退することは
誰もが予想できることです。
それに対する処方箋は、
「異次元の少子化対策」などという
まやかしではないはずです。
人口を一定地域に集約するという
「コンパクト・シティ化」、
もしくは移民を大量に受け入れ、
日本人と同等の待遇(法律面でも
給与面でも)を与えるという
「移民受け入れ政策」の、
いずれかしかないはずです。
しかし、「コンパクト・シティ化」を
実現するとなると、
半ば強制的な手法が必要になります。
住み慣れた土地や
自らの所有権のある土地を手放し、
半強制的に人口を集約する、
もしくは自分の土地であっても
自由に使うことができないなど、
ほぼ「社会主義的政策」となるはずです。
また、人口減を補完するほどの
「移民受け入れ」は、
受け入れる側の私たち自身の
考え方が変わらなければ、
社会の不安定を招くとともに、
日本という国の文化が
大きく変わらざるを得ない
大転換となるのです。
そのどちらの未来もまた、
現在の日本の延長線上にはない姿です。
前回は、
「人工知能登場の予見」
「気象変動の予見」
「iPS細胞の予見」の三つを挙げ、
安部公房の先見性の高さについて
記しました。
しかしそれ以上に、
「常識の範囲内では
受け入れ不可能の未来の到来」こそ、
安部の描いた近未来の中で
もっとも先見性の高い事案であると
いうことができます。
昨日も書きましたが、
本作品発表100年となる2059年には、
どのような感慨を持って
読み返すことになるのか考えると、
暗澹たる気持ちにさせられます。
発表後、60年を経過しても、
そしておそらく100年経過しても、
まったく色あせることのないであろう
本作品、ぜひ大人のあなたと、
近い将来大人になる中高生の皆さんに、
広くお薦めしたい一冊です。
(2023.1.31)

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