「にぎやかな街角」(H.ジェイムズ)

「化け物」つまり「過去の判断を悔やむ心の弱さ」

「にぎやかな街角」
(H.ジェイムズ/大津栄一郎訳)
(「ヘンリー・ジェイムズ短篇集」)
 岩波文庫

(「百年文庫080 冥」)ポプラ社

老年の男・ブライドンは、
三十三年ぶりに故郷
ニューヨークに戻ってきた。
かつて自分が暮らした
「にぎやかな街角の家」を
相続するためだった。
彼はその家を空き家のままにし、
ときどき訪れていた。
もう一人の「自分」と
会うために…。

「ねじの回転」に代表される
「ゴースト」を素材とする小説を
いくつも書き上げた
H.ジェイムズの短篇作品です。
ここで現れる(「ねじの回転」同様、
現れたのか現れなかったのか
不明なのですが)ゴーストは、
いわゆる「ドッペルゲンガー」、
つまり「もう一人の自分」です。

〔主要登場人物〕
スペンサー・ブライドン

…56歳。23歳のとき、
 ニューヨークを離れ、ヨーロッパへ。
 「にぎやかな街角の家」と
 もう一つの物件を相続する。
アリス・スタヴァトン
…帰国したブライドンと知り合った
 初老の女性。
ミセス・マルドゥーン
…「にぎやかな街角の家」の掃除婦。
「幽霊」「分身」
…「にぎやかな街角の家」に
 住み着いていると思われる何か。
 ブライドンの「分身」の可能性あり。

〔作品の構成〕
「一」

…スタヴァトンが夢の中でブライドンの
 「分身」と出会ったことを告げる。
 岩波:23頁 百年:35頁。
「二」
…本編。ブライドンが
 「にぎやかな街角の家」に踏み込み、
 「分身」と対峙する。
 岩波:32頁 百年:47頁。
「三」
…意識を取り戻したブライドンは
 スタヴァトンに介抱されている。
 岩波:12頁 百年:17頁。

本作品の味わいどころ①
「幽霊」目撃までのおどろおどろしさ

彼はその「にぎやかな街角の家」に、
自分の「分身」が「歩き回っている」という
確信を持つにいたるのです。
そしてついにある夜、
その「分身」と対峙するため、真夜中に
乗り込むことを決意するのです。

作品の約半分の分量を費やして、
ブライドンが「にぎやかな街角の家」に
潜入(といっても自分の
持ち家なのですが)し、
「分身」と遭遇するまでが
実におどろおどろしく描かれています。
そしてついに彼は
それを見極めるのです。それは
「見たことのない、想像もできない、
 恐ろしい、自分に似たところなど
 どこにもない顔」

人物だったのです。
この、「幽霊」目撃までの
おどろおどろしい雰囲気、
そして目撃場面での衝撃こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
「幽霊」は実在した?それとも幻覚?

額面通り受け取れば、
彼は自分の想像だにしていなかった
化け物と遭遇し、
命を落としかけるほどの
強烈な体験をしたということでしょう。
ゴーストやエクソシストの似合う国・
アメリカらしい作品と
捉えることもできます。

しかし仮にも夏目漱石から
「哲学のような小説を書く」と
絶賛されたジェイムズの作品が、
そのようなホラーで
終わるはずがありません。

現実的に解釈しようとするならば、
岩波文庫の巻末解説にあるように、
「たまたま開いていた玄関から
入ってきた酔っ払いの紳士」と
いうことになるのでしょうが、
それも安直に過ぎるような気がします
(ただし訳者自身の解説であるため
簡単に否定はできないのですが)。

鍵となるのは「一」に記されている
彼の思考過程でしょう。
彼は帰国して以来、
遺産整理に取り組み、
「思いがけなく実務能力や
建築家的感覚が活発に
活動」してきたことが記されています。
何らかの商才や経営能力が
あったのでしょう。
ヨーロッパでは
その機会がなかったものの、
ニューヨークではそうした
「金儲けの力」が
自然と発現しているのです。
老いの始まりを迎え、
若いころの選択を振り返り、
「もしも…」と考えたとき、
「あり得たかも知れない自分」の姿に
光を感じてしまうのも
無理はありません。

その醜悪な男は、「そのまま
ニューヨークに住み続けていたときの
ブライドン自身」と考えることも
できるのではないかと思うのです。
若い時分から
そうした力を発揮したとき、
「成功者」ではなく、
「金の亡者」のような存在になっていた
可能性もまたあるのです。
本作品において「幽霊」は実在したのか、
それともブライドンは
幻覚を見ただけだったのか。
いろいろ起こりうる
その可能性を考えることこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
遭遇した男はかなり手強い「化け物」

「あり得たかも知れない自分」は
「成功者」でなかった可能性がある、
だからこそ過去の選択を
悔やむのではなく、
今の自分に誇りを持つべきだという
メッセージと受け止めることは
できないでしょうか。
醜悪な男は、化け物などではなく、
卑屈な自分が生み出した幻影、
つまりは自身の「心の弱さ」なのだと。
しかしながら彼は、
スタヴァトンが訪れなければ、
意識を失ったまま帰らぬ人となった
可能性も否定できません。
そうした意味では、
彼が遭遇した醜悪な男は、
かなり手強い「化け物」だったとも
いえるのです。
「幽霊」か「幻覚」かに関わらず、
ブライドンが遭遇したのは紛れもなく
手強い「化物」だったという事実こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

「化け物」つまり「過去の判断を悔やむ
心の弱さ」と訣別し、
スタヴァトンと未来を向いて
第二の人生を歩む予感で
物語は締めくくられます。
冥界の入り口に立った男は、
現実的な愛情で
この世に踏みとどまるのです。
まさにH.ジェイムズの
短篇作品の真骨頂であるとともに、
テーマ「冥」のアンソロジーに
ふさわしい一篇といえます。
ぜひご賞味ください。

〔なおも残る「謎」〕
ブライドンの遭遇したものが
超常現象でないとするならば、
スタヴァトンが見た
夢の説明がつきません。
この点について訳者の大津栄一郎は
巻末解説で
「彼女は彼の意を迎えるため、
 女性特有の勘と機転を利かせて、
 その場で適当に
 話を合わせたのである」

記しているのですが、それでは彼女が
「あの人の右手は、お気の毒に」と、
「幽霊」の指が欠けているのを
知っている理由が説明できないのです。
やはり何らかの超常現象なのでしょう。

〔本作品と作者・ジェイムズ〕
作者H.ジェイムズ自身も
ニューヨークに生まれ、
成人する前に渡英し、以来20年、
活動の拠点はヨーロッパでした。
ところが1905年、
20年ぶりに帰国しています。
本作品はそのときの自身の印象をもとに
書き上げられ、
1908年に発表されたものです。

(2023.2.15)

〔「ヘンリー・ジェイムズ短篇集」〕
私的生活
もうひとり
にぎやかな街角
荒涼のベンチ
 解説

〔「百年文庫080 冥」収録作品〕
バイオリン弾き メルヴィル
夢の国 トラークル
にぎやかな街角 H.ジェイムズ

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