いや、まさしく異世界に迷い込んだのでしょう。
「「人生」という名の家」
(サヴィニオ/竹山博英訳)
(「百年文庫076 壁」)ポプラ社

母との窮屈な二人暮らしに
嫌気がさしたアニチェートは、
家を出て彷徨う。
辿り着いたのは豪奢な邸宅。
中では単調なヴァイオリンが
同じ曲を繰り返している。
祝典が開かれているらしい。
アニチェートはその家に
足を踏み入れる…。
「その不安を振り切ることは
できなかった」から始まる本作品、
読み手もまた不安を抱えながら
読み進めることになります。
「青春万歳!」と叫ぶ老人だの、
車に轢き殺された蛇だの、
意味不明な、しかし読み手の心を
確実にざわつかせるような情景が
次から次へと襲いかかってきます。
最大の味わいどころは、
もちろんその「家」に踏み込んでからの
描写です。
すべての扉は開かれている、
祝典が開かれているのは
間違いないのに誰もいない、
呼び鈴を鳴らしても誰も出てこない、
生活の「跡」と
人のいた「気配」だけが存在する、
ヴァイオリンはいつまでも
同一の曲を繰り返し奏でている…。
まるで異世界に
迷い込んでしまったかのようです。
いや、まさしく
異世界に迷い込んだのでしょう。
ヴァイオリンの主を確かめようと
踏み込むと、
「ヴァイオリンが空中に浮かび、
弦の上で弓が昇っては降り、
昇っては降り、
昇っては降りている」。
そして彼が鏡を覗きこむと、
「鏡が映し出しているのは
老人の顔だ。
今朝ミラーノを出た時、
彼が二十歳で
母が六十歳だったのに、
今では彼も六十歳だ」。
さらに周囲を見渡すと、
「甲板は濡れている。
水しぶきが
舷側を越えて上がってくる。
水平線は見通せない。
海の途方もなく大きなとどろき」。
いわゆる
「夢落ち」と考えられるのですが、
だとすれば彼が体験した「家」は
何の象徴?
表題から判断すると
「人生」ということになるのですが、
それは肯定的なものなのか、
それとも悲観的なものなのか?
豪奢なたたずまい、
優雅なヴァイオリンの音、
祝典の開かれた雰囲気、
そうしたものから判断すると、
彼の人生の成功を
意味しているようにも思えます。
一方で、気配だけで現れない家人、
片づけられていない食器、
単調な繰り返しのヴァイオリン、
そうした諸々の指し示す人生とは、
「孤独」以外に考えられないのでは
ないかと思うのです。
そしてそれは彼が逃げ出してきた、
母親との二人きりの生活と、
何ら変わるところがないものと
考えられます。
家出をして飛び乗った船の中で
見せつけられた幻影は、
彼の否定的な人生だったに
違いありません。
さて、
作者アルベルト・サヴィニオですが、
いささか特異な経歴の持ち主です。
十二歳でアテネ音楽院を卒業、
作曲家マックス・レーガーに師事して
作曲を学びます。
なんと十七歳で創った
オペラ「カルメラ」が
高い評価を得ています。
同時に前衛芸術家たちと親交を深め、
兄ジョルジュ・デ・キリコとともに
形而上絵画派の作品を
発表していきます。
さらには作家として
「アンジェリカ、あるいは五月の夜」を
発表し、小説家としても
注目されるようになるのです。
作曲家・画家・作家と
三足草鞋を履いて活動したのですが、
現代ではそのいずれにおいても
忘れ去られようとしています。
音楽では現在歌曲集一枚のみが
音盤として流通しているだけです。
画家としては兄キリコの名声に隠れ、
今ひとつの感が拭えません。
小説もアンソロジーとして編まれた
この一冊以外、すべて絶版状態です
(現在中古本を探しているのですが、
それすら見つかりません)。
「器用貧乏」という言葉がありますが、
もしかしたらサヴィニオは
あまりにもいろいろな分野において
才能が開花した結果、
かえって印象が
薄くなったのかも知れません。
しかし本作品は、
イタリア幻想小説の一翼を担うほどの
出来映えと感じられます。
ぜひ再評価が進み、
作品集が復刊することを期待します。
〔本書収録作品〕
ヨナ カミュ
魔法のチョーク 安部公房
「人生」という名の家 サヴィニオ
(2023.3.1)

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