「異父兄弟」(ギャスケル)

それだけいい人間になることができる

「異父兄弟」(ギャスケル/松岡光治訳)
(「ギャスケル短篇集」)岩波文庫

(「百年文庫022 涯」)ポプラ社

不器用で学業も仕事も
上手くこなせない兄・グレゴリー。
家族から冷ややかな目で
見られる彼を、
弟の「私」も同じように
見下した態度で接する。
ある冬の夜、
道に迷った「私」のもとへ
駆けつけたのは、グレゴリーと
その愛犬であった…。

ジョルジュ・サンドの言葉
「彼女の作品を読めば、それだけ
いい人間になることができる」は、
決して誇張ではありません。
このエリザベス・ギャスケルの作品は、
人間の心の中にある
「優しさ」を覚醒させるような
はたらきを持っています。

〔主要登場人物〕
「私」…語り手。
ウィリアム・プレストン
…「私」の父親。豊かな農場主。
ヘレン
…プレストンと再婚し、「私」を産む。
 産後に病死。
グレゴリー
…ヘレンと前夫とのあいだの子。
 ウィリアムの継子。「私」の異父兄。
 学業も仕事も覚えが悪く、
 周囲から蔑まれる。
ファニー
…ヘレンの姉。
 「私」やグレゴリーの伯母。
ラッシー…グレゴリーの愛犬。
アダム爺さん…グレゴリーの理解者。

愚鈍な兄と優秀な弟、
つまり「愚兄賢弟」の物語は、古今東西、
いろいろな形で描かれています。
古くはおとぎ話の「三匹の子ぶた」、
日本映画では
「寅さんシリーズ」(こちらは賢妹)、
漫画では「宇宙兄弟」
(必ずしも「愚兄」とはいえないが)、
そういえば
NHK朝ドラの「ちむどんどん」
賢秀・暢子もその型
(こちらも賢妹)でした。

本作品の場合、
愚兄グレゴリーは継子であり、
しかも父・ウィリアムは、
彼が早産で生まれたことが妻の命を
縮めたと捉えているのですから、
風当たりが強くなるのも
致し方ない状況です。
学校へ通っても何も身につけることが
できずに退学となり、
仕事をさせても覚えが悪く、
ほとんど役に立たないのですから、
「愚か」と思われるのも当然です。
しかしグレゴリーは
決して「愚か」などではないことが、
最後に明かされます。

冒頭に掲げた粗筋に続き、
兄・ギャスケルは「私」のハンカチを
愛犬ラッシーに結びつけ、
家まで直行させます。
道に迷い、そこがどこかもわからず、
雪で身動きのとれない状態、
しかも疲労して体力もそがれ、
絶体絶命の窮地の中、ギャスケルは…、
自らはシャツ一枚になりながら、
「私」を上着や膝掛けで包み込み、
自らの命と引き換えに、
「私」を助け出すのです。

グレゴリーは決して愚かでは
なかったことが描かれているのです。
「私」を発見するまでの経緯も、
そして発見以後の処置も、
適切な判断と迅速な行動であり、
彼は明晰な思考力判断力を
持っていたことがわかります。

グレゴリーの死から、
少なくとも二人の人間が
変容しています。
一人は「私」です。
自らが語る「私」の姿は
傲慢さながらだったのですが、
自らの語り口は
すこぶる穏やかなものとなっています。
もう一人は当然、父・ウィリアムです。
最後の一文が心を打ちます。
「父が死んでから
 一枚の指図書を見つけました。
 そこには、父の希望によって
 哀れなグレゴリーが
 「私たちの母」と一緒に埋葬された、
 その墓の足もとに
 自分もまた眠りたいという
 趣旨のことが書かれていたのです」

学業ができる、仕事ができる、
そうした男性社会の評価基準で測れば、
確かにギャスケルは
落第なのでしょう。
しかし女性的視点
(本来は性別に関わりなく、すべての
人間がもつべき視点なのですが)から
見たとき、ギャスケルの人間的価値は
きわめて大きなものとなったはずです。
本作品は、
女性作家ギャスケルでなければ
書きえなかったものなのでしょう。
ジョルジュ・サンドの言葉
「彼女の作品を読めば、それだけ
いい人間になることができる」は、
言い換えれば、世の中の男は、
もっと女性の視点に立つべきだ、と
なるはずです。
男女共同参画社会が
未だ実現していない現代日本でこそ、
読まれる文学だと思います。
ぜひご一読ください。
いい人間になることができます。

〔「百年文庫022 涯」〕
異父兄弟 ギャスケル
流刑地 パヴェーゼ
 中山義秀

〔「ギャスケル短篇集」岩波文庫〕
ジョン・ミドルトンの心
婆やの話
異父兄弟
墓掘り男が見た英雄
家庭の苦労
ベン・モーファの泉
ジリー・リー
終わりよければ

〔ギャスケルの本はいかがですか〕
残念ながら、本書2冊以外、
絶版状態のようです。
以下のような本が
入手しやすいようです。
「女だけの町」(岩波文庫)
「シルヴィアの恋人たち」(単行本)
「メアリ・バートン」(単行本)

(2023.4.19)

〔百年文庫はいかがですか〕

Kara KenanによるPixabayからの画像

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