明治の知識人の精神の高揚を感じる
「子供と旅」(田山花袋)青空文庫

十歳になる男の児を連れて、
明治四十四年の元日を
上諏訪温泉で迎えた「私」。
男の児は、見たものに
次から次へと興味を示す。
誰も沸かす人がいないのに
湯が湧き出る温泉、
夕日に映った赤い富士、…。
男の児は、黙って見ていた…。
青空文庫を探していて見つけた、
田山花袋の短い随筆です。
文庫本サイズでわずか2~3頁の、
全文紹介できるほどの掌編ですが、
味わい深い名文だと感じます。
ここには、目に映るものすべてに
心をときめかす子どもの姿が、
実に愛らしく描かれています。
そして、父親である
「私」の見つめるまなざしには、
限りないあたたかさが感じられます。
「見ることの多い世の中
考へることの多い世の中、
それに初めて向つた男の児の心持が
私には意味が深かつた。」
そして、学ぶということの本質が
実にわかりやすく示されているのです。
「解らない、
しかし知り度い。
知りたい、しかし解らない
知られないものは、
黙つて見て居るより
他に仕方がない。」
インターネットはおろか、
書籍でさえ身近に存在しなかった
明治の時代、
子どもが「調べる」手段は
「黙つて見て居る」こと
ぐらいだったのでしょう。
しかし、それが
何よりも自然観察、自然理解、
そして自然探究の第一歩であり、
最も大切なことなのです。
疑問に感じる、よく観る、
何かを感じる、何かを理解する、
そのプロセスを大切にさせたいと
私はいつも思っています。
TVやネットをはじめとする、
メディアの刺激的な映像に慣れすぎ、
身のまわりの自然の織りなす
魅力溢れた情景に接しても、
何も感じることのできない、
心の貧しい子どもが
最近増えてきたように感じます。
残念なことです。
教育現場では昨今、
「探究型学習」「探究力を育てる」等々、
「探究」が一つの
キーワードとなっています。
しかし、子どもは
教師による指導がなされなくとも、
ここに描かれているように、
もともと探究心旺盛だったのです。
教育機器をはじめとする
「探究」のための学習環境が
充実するにつれ、
子どもたちの「探究心」が
失われているのは、
実に皮肉なものです。
「ライフは考へるライフよりも
見るライフである。
聞くライフである。
見る処から、聞くところから、
いろ/\な現象が、
その意味を豊富にして行つた。
眼さへあれば好い。
眼がつぶれたら、
耳さへあれば好い。
耳も聞えなくなつたら、
触つてゞもライフが知りたい。」
五感のすべてを使って、自然を、
そして世界を理解しようとする
貪欲なまでの探究心に、
明治の知識人の
精神の高揚が感じられます。
書店の書棚を探しても
「田舎教師」くらいしか
見かけなくなった田山花袋です。
ぜひ青空文庫でご賞味ください。
(2023.4.27)

【青空文庫】
「子供と旅」(田山花袋)
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