「津の国人」(室生犀星)

悪人の存在しない作品世界の温かさ

「津の国人」(室生犀星)
(「百年文庫024 川」)ポプラ社

「百年文庫024 川」ポプラ社

夫は津の川を東へ上り、
念願の宮仕えのために
京都へ向かう。
妻・筒井はそれを西へ下り、
官人の家の奉公へと向かう。
再び一緒に暮らせる日を願い、
筒井は夫からの便りを
待ち続けるが、
二年を過ぎても一通の便りも
届かなかった…。

何度読み返しても心が洗われる、
室生犀星の名作短篇です。
犀星は古典に題材を求めた
いわゆる「王朝もの」を得意としていて、
本作品も伊勢物語を下敷きにして
創作されています。

〔登場人物〕
筒井
…夫が宮仕えをして身を立てる間、
 官人の家で奉公して待つことを
 選んだ女性。
「夫」「男」
…筒井の夫。
 宮仕えしたものの、四年間
 便りを出すことが叶わなかった。
貞時
…筒井が仕えた官人の子息。
 筒井に思いを寄せる。
宮腹村のおさ
…筒井が次に仕えた家の主人。

本作品の味わいどころ①
誰にでも愛される、誠実な女性・筒井

まず味わうべきは
理想の女性像として描かれる筒井です。
便りをよこさぬ夫を信じ、
貞時からの求愛をやわらかく退ける。
苦労をいとわず、まめまめしく働く。
誰とも諍いを起こすことなく、
恨まれることもなく、上手に立ち回る。
貞時に対して
どうにも申し訳が立たなくなると、
静かに身を引く。
まるで神様であるかのような
誠実な人柄なのです。

しかも和歌を子どもたちに指南したり、
貧しくとも知恵を働かせて
最低限の生活を維持したりと、
頭脳も明晰なのです。
加えて器量よし。
言うことなしの完璧な女性なのです。
創作上の女性だからといってしまえば
それまでですが、だからこそ、
しっかりと味わうべきなのです。

本作品の味わいどころ②
悪人の存在しない作品世界の温かさ

シェイクスピアの戯曲には、
お決まりのように悪人が登場します。
悪人の行動によって物語に起伏が生じ、
悪人の存在によって
善人のよさが引き立てられるのです。
しかし本作品
(犀星作品の多くがそうなのですが)は、
悪人が一人も存在しません。
筒井が仕えた二つの家の男たちは、
決して筒井に
無理難題を課すわけでなく、
大切に扱います。
貞時にいたっては、
筒井がその気になるまで
「何年でも待つ」と言い切ります
(源氏物語に見られるように、
平安時代は男が力づくで
「結婚」させてしまうことが
多かったにもかかわらず)。
便りを出さなかった夫も、
決して自堕落な生活を
送っていたわけではなく、
想像を絶する苦労をしていたからで
あることが最後に明かされます。
登場する人物すべてが善人であり、
そこに悪人はいないのです。

この点についても「創作だから」と
思われるかも知れません。
確かに現実はこのようには
いかないはずです。
だからこそ、それを十分に堪能するのが
「小説を味わう」ことなのです。
悪人を創らなくとも、
これだけ起伏に富み、
表情豊かな作品を
創り上げることができるのです。

本作品の味わいどころ③
誰しもが納得のゆく幸せな終わり方

したがって、終末も
伊勢物語のような悲劇にはなりません。
いよいよ明日が貞時との婚礼という夜、
四年ぶりに夫が
彼女のもとを尋ねてくるのです。
しかし、安っぽいドラマのように、
一時の情に任せて
元の鞘に収まるのではありません。
現在自分をもっとも愛してくれる
貞時に嫁ぐ決心を、筒井は貫くのです。
そして、お互いに罵り合うのでもなく、
二人は淡々と歌をやりとりし、
別れるのです。
「あらたまの年の三年を待ちわびて
 ただ今宵こそにひまくらすれ」
「あづさ弓ま弓つき弓としを経て
 わがせしがごとうるはしみせよ」
「あづさ弓ひけどいかねど昔より
 こころは君によりにしものを」

もちろんこの点についても
「創作」だからこその成り行きです。
男女の別れが、現実に
こう綺麗にいくはずなどありません。
だからこそ、味わうに値するのです。

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本作品が書かれたのは1942年。
殺伐とした世相の21世紀だからこそ、
こうした作品の価値が
高まっていると考えます。
ぜひご賞味ください。

〔青空文庫〕
「津の国人」(室生犀星)

〔「百年文庫024 川」〕
 織田作之助
吉備津の釜 日影丈吉
津の国人 室生犀星

(2023.5.17)

StockSnapによるPixabayからの画像

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