息のつまるようなサスペンス、「変格」探偵小説の傑作
「烙印」(大下宇陀児)
(「烙印」)創元推理文庫

「烙印」(大下宇陀児)
(「新青年傑作選集1」)角川文庫

私欲のための証書偽造が
主人・亘理子爵に発覚し、
窮地に立たされた
青年事業家・由比祐吉。
彼は破滅を逃れるため、
策を弄する決意を固める。
ある夜、
家路を急いでいる子爵に、
急にぶつかってきた女性。
その女性は素裸の上に外套を…。
昭和初期に活躍した
探偵小説作家・大下宇陀児。
近年、再評価が進んでいるのか、
文庫本を見かけるようになりました。
本作品はその大下宇陀児の
代表作の一つに数えられるものであり、
息の詰まるようなサスペンスが
展開していきます。
〔主要登場人物〕
由比祐吉
…有能な青年実業家。証書偽造が
主人・亘理子爵に発覚する。
亘理子爵
…謹直清廉の実業家。
祐吉に目をかけていた。
亘理緋裟子
…子爵の娘。教養の高い美女。
倉戸
…農学士。北海道から上京してきた
亘理家の客人。
玉園夏枝
…亘理子爵を陥れた女。
祐吉とつながっている。
本作品の味わいどころ①
現在進行形で描かれる殺人計画
筋書きは至って単純です。
証書偽造による金の使い込み(その
理由や経緯は明らかにされていない)が
発覚した青年が、
その金の返済に行き詰まり、
主人を亡き者にして
それを帳消しにしてしまおうと試みる、
稚拙な動機から起こす
殺人事件なのです。
それが現在進行形で展開します。
他殺ではいずれ
司直の手が伸びるであろうこと、
そのためには自殺に見せかける
必要があること、
自殺に見せかけるには
相応の理由が必要であること、
そうした犯罪者の思考過程が、
まるで実況中継のように
描かれていくのです。
やり手の有能青年実業家・由比祐吉の、
なんともお粗末な犯罪実行記録を、
まずは丹念に味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
計画を妨害する「敵」の正体は?
その犯罪計画自体は
比較的スムーズに進行するのですが、
ところどころで「邪魔」が入り、
それが「つまずき」となっていくのです。
見えないところで
暗躍している「敵」がいる!
祐吉はその「敵」を倉戸農学士と考え、
心理戦を弄するのですが、
どうにも手応えがつかめません。
果たして「敵」は誰なのか?
登場人物は限られています。
多くのミステリは、探偵者が
犯人を捜すドラマとなるのですが、
本作品は犯罪者が
「敵」つまりは探偵を探し出そうとする
戦いとなっているのです。
この「本格」ならぬ
「変格的」探偵小説の筋書きを、
次に十分に噛み締めましょう。
本作品の味わいどころ③
追い詰められる視点からの描写
それらが犯罪者・祐吉の視点から
すべて語られていくのです。
したがって見えざる「敵」に
追い詰められるそのサスペンスこそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
まったく情状酌量の余地のない
犯罪でありながら、
その視点ゆえに読み手は
祐吉の立場になって背筋に
汗をかかざるを得なくなるのです。
この、追い詰められる視点からの
張り詰めた緊張感を、
存分に咀嚼するべきなのです。
さて、作者・大下宇陀児は、
昭和初期の日本ミステリ界において、
江戸川乱歩や甲賀三郎と並び称される
「変格」探偵小説作家でした。
当時は乱歩と肩を並べるくらい
人気があったのですが、
乱歩だけが注目され続け、
甲賀三郎とこの大下宇陀児は
半ば忘れ去られようとしています。
まだまだ日本には
素敵な古典ミステリ作家が
大勢隠れているのです。
新しい時代の作家の作品は
もちろん素晴らしいのですが、
古き良き時代を発掘するのも
また楽しいものです。
それぞれの作家の
作品集の復刊とともに、
本書「新青年傑作選集」のような、
昭和の時代のミステリ・アンソロジーが
復刻されることを
期待したいと思います。
〔創元推理文庫「烙印」〕
烙印
爪
決闘街
情鬼
凧
不思議な母
危険なる姉妹
螢
〔「新青年傑作選集1」〕
永遠の女囚 木々高太郎
家常茶飯 佐藤春夫
変化する陳述 石浜金作
月世界の女 高木彬光
彼が殺したか 浜尾四郎
印度林檎 角田喜久雄
蔵の中 横溝正史
烙印 大下宇陀児
〔大下宇陀児の作品について〕
作品の多くが絶版状態でしたが、
幸いなことに復刊が相次いでいます。
2012年には論創ミステリ叢書から
「大下宇陀児探偵小説選」が
全2巻で刊行されました。
続いて2017年には光文社文庫から
「大下宇陀児 楠田匡介
ミステリー・レガシー」が、
そして河出文庫からは
「見たのは誰だ」が、出版されています。
そして昨年2022年には
創元推理文庫から、
作品集「偽悪病患者」が、
本書「烙印」とともに復刊しています。
さらには電子書籍を探すと、
以下のような作品を
見つけることができます。
「おれは不服だ」
「子供は悪魔だ」
「大下宇陀児全集第1巻:阿片夫人」
「大下宇陀児全集第2巻:決闘街」
「ニッポン遺跡:大下宇陀児SF傑作選」
「金色藻」
「石の下の記録」
なぜか青空文庫には
ほとんど登場していないため、
こうした復刊は嬉しい限りです。
みなさん、
大下宇陀児を味わいましょう。
〔角川文庫「新青年傑作選集」〕
「1 犯人よ、お前の名は」
「2 モダン殺人倶楽部」
「3 骨まで凍る殺人事件」
「4 一人で夜読むな」
「5 おお、痛快無比!!」
(2023.5.19)

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