紀行文、食レポ、そして…、何を描きたかったのか?
「泰淮の夜」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅥ」)中公文庫

…「花月楼、花月楼」と、
私は彼女の名前を
支那音で呼び続けつつ、
両手の間に
細長い顔を抱き挟んだ。
小さな愛らしい顔であった。
私は急に、
挟んだ顔をいつまでも
放したくないような、
激しい情緒の胸に
突き上げて来るのを覚えた。
中公文庫刊、
谷崎潤一郎のテーマ別短編集
「潤一郎ラビリンス」第6巻のテーマは
「異国奇談」。
中国・泰淮(しんわい)が舞台の、
そのテーマ通りの
異国情緒溢れた作品なのですが、
いったい何を描きたかったのか、
何を伝えたかったのか、
今ひとつわからない短篇です。
〔主要登場人物〕
「私」
…語り手。中国旅行中の日本人。
作家であるらしき記述があるので、
モデルはおそらく谷崎自身。
「案内者」
…中国人の俥屋で、旅行者(日本人)の
ガイドを務めている。
巧
…「案内者」が最初に紹介した
(春をひさぐ)宿屋の芸者。十八。
「私」好みの美女。
陳秀郷
…「案内者」が二番目に紹介した
宿屋の芸者。十九。
花月楼
…「案内者」が三番目に紹介した
素人娘。十七。
筋書きとしては、中国旅行中の「私」が、
「案内者」をガイドにして、
泰淮の夜の街を
探索するというものです。
そこに何も事件は起きません。
一読すると、
谷崎自身が体験した事実を、
丁寧に記した
エッセイのようにも思われます。
でもおそらくは私小説であり、
事実をもとにしながらも、いくつかの
創作が加わっているはずです。
冒頭は、
まるで紀行文のような文章が続きます。
宿泊先を出て、
夜の街に繰り出す様子が、
町並みの景色や俥の状態なども含めて、
かなり詳しく記述されています。
ここで読み手は、
中国の夜の街に、「私」とともに
引きずり込まれていくのです。
続く部分は、
いうなれば食レポでしょうか。
「案内者」による
安くて美味い食事にありついた様子が、
生き生きと描かれています。
炒蝦仁、醋溜黄魚、
炒山鶏、鍋鴨舌など、
具体的な料理名も登場します。
ここで読み手は、
中国料理に舌鼓をうち、「私」とともに
架空の満腹感に浸るのです。
で、ここまで10頁足らず。
以降の20数頁は、
食欲を満たしたあとに
性欲も満たしましょうか、という
展開なのです。
延々と芸者(売春婦)あさりの様子が
続きます。
最初の娘・巧は
美人であるものの値段が高くてパス。
二番目の陳は
料金が手頃であるものの食指が動かず、
これもスルー。
「案内者」は奥の手として
自らが開拓した素人市場を紹介、
三番目の娘・花月楼に
たどり着くのです。
で、冒頭に記した一節で
物語は幕を閉じます。
まあ、確かに、
読み手も「私」と一緒になって
春を探しているような気分になります。
でも、だから、どうなの?
ここから何を読み取り、
何を味わえばいいの?という
疑念は拭えません。
ただし、少なくとも現代に引き寄せて、
「これは買春ツアーじゃないか!」と
いきり立ってはいけないのでしょう。
本作品が書かれた
大正8年(1919年)は、
まだまだ国民の多くが
外国など知らない世の中です。
一般庶民は海外へ出たこともなく、
外国人と接した経験もなく、
外国を紹介した視覚的な情報が
あるわけでもなく、
お伽噺の世界と
同等だったのではないでしょうか。
だとすれば谷崎自身も、
本作品で何かを読み手に伝えようとは
考えていなかったのかも知れません。
「異国ってこんなに楽しいんだよ」という
自らの感想を、
そのまま記しただけであり、
それ自体が一般人に向けての
読み物として十分な価値を有していた
可能性があります。
あまり難しく考えず、そして
あまり真面目に考えず、
描かれていない「私」の
その後の行動を脳内で組み立てるのも、
味わい方の一つなのかも知れません。
〔「潤一郎ラビリンスⅥ」収録作品〕
独探
玄弉三蔵
ハッサン・カンの妖術
秦淮の夜
西湖の月
天鵞絨の夢
本作品とともに、
本書の異国情緒を愉しみましょう。
(2023.6.8)

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