「脣のねじれた男」(ドイル)

事件にすら、しないまま、「事件」は決着する

「脣のねじれた男」
(ドイル/日暮雅通訳)
(「シャーロック・ホームズの冒険」)
 光文社文庫

「シャーロック・ホームズの冒険」

セントクレア氏が
妻によって阿片窟で目撃され、
妻が警官とともに
現場に向かったところ、
氏は消え失せ、
唇のねじれた男ヒューが
いるだけであった。
窓枠には血痕があり、
ヒューはその場で逮捕されたが、
氏の所在は不明のまま…。

コナン・ドイルによる
シャーロック・ホームズ・シリーズの
短篇作品です。
一時、日本の探偵小説といえば、
殺人事件と相場が決まっていましたが、
ホームズ・シリーズは
殺人だけではありません。
「赤毛組合」のように、
銀行襲撃事件の未然防止といった
大がかりなものもある一方で、
「名馬シルヴァー・プレイズ」のように、
行方不明の馬の捜索もあるのです。
本事件は馬ではなく人間の捜索、
行方不明者の捜索です。

〔主要登場人物〕
「わたし」(ジョン・H・ワトスン)
…語り手。医師(元軍医)。
 妻の友人ホイットニーの依頼により、
 アヘン窟で人捜しを行う。
「妻」
…ワトスンの妻。この時点では
 ワトスンは結婚し、妻と生活。
シャーロック・ホームズ
…探偵コンサルタント。
 変装してアヘン窟に潜入していた。
ケイト・ホイットニー
…行方不明となった夫の捜索を
 ワトスンに依頼する。「妻」の友人。
アイザ・ホイットニー
…ケイトの夫。行方不明となる。
 アヘンの常用者で、
 アヘン窟で発見される。
ネヴィル・セントクレア
…行方不明となっている人物。
 アヘン窟にて妻に目撃される。
セントクレア夫人
…夫ネヴィルの捜索を
 ホームズに依頼した女性。
ヒュー・ブーン
…アヘン窟にいた乞食。
 唇のねじれた男。
 セントクレア殺人容疑で逮捕される。
バートン警部
…セントクレア夫人の通報を受け、
 アヘン窟を捜索した警察官。
ブラッドストリート警部
…ヒュー・ブーンを勾留している
 警察署の担当警部。

本作品の味わいどころ①
アヘン窟で何が起きたか?

ここで描かれているのは
2件の行方不明事件です。
ワトスンが依頼を受けた
アイザ・ホイットニー氏は
行きつけのアヘン窟で簡単に見つかり、
無事解決となります。
女性であるケイトでは
アヘン窟への立ち入りが
困難を極めるための依頼
(というよりも相談)でしたので、
難なく解決します。
もちろんこちらは
前振りのようなものです

本題はもう一方の
セントクレア氏失踪事件です。
夫人の目撃によると、
いるはずのないアヘン窟の三階の窓から
顔をのぞかせ、直後に
部屋の中に引きずり込まれたこと、
バートン警部とともに
アヘン窟へ乗り込んだが、
中はもぬけの殻だったこと、
アヘン窟の窓枠に
血痕が残っていたこと、
付近を流れる川底から
氏の上着が見つかったこと等々、
何か恐ろしい事件が
発生していることを予感させます。
この謎解きが、本作品の第一の
味わいどころとなっているのです。

本作品の味わいどころ②
ホームズの見立てが外れる

当然、ホームズも、
氏は殺害されて生きてはいないと
推理するのですが、
なんとその氏から夫人宛に手紙が届き、
ホームズの見立ては見事に外れます。
普段細かな状況分析の
積み重ねによって、正確な推理を
見せているホームズですが、
手がかりがないままの推理
(推測に過ぎないのでしょうが)は、
あまりあてにならなさそうです。
そのホームズの
意外な見立てはずれこそ、
本作品の第二の味わいどころと
なっているのです。

本作品の味わいどころ③
決着としての「粋な計らい」

さて、その手紙から、
ホームズは事件の真相を掴むのですが、
それは一体どのようなものなのか?
ぜひ読んで確かめていただきたいと
思います。
それはさておき、ホームズの
決着の付け方が何とも「粋」です。
立ち会った
ブラッドストリート警部とともに
「今度こそきっぱりやめるんだぞ」と
厳重注意処分でおとがめなし
(誰に対してかは書けません)。
結局、事件にすら、しないまま、
「事件」は決着するのです。

探偵小説は殺人事件である必要は
まったくありません。
解きがたい謎があり、
その謎を名探偵が
明晰に解き明かせばいいのです。
本作品の面白さは、
まさに殺人事件が
発生していないことに尽きるのです。
探偵小説は
殺人事件だけではないことを、
探偵小説の先駆けである
ドイルが示しているのは
興味深いことです。

こうしたホームズ・シリーズ
特有の面白さを
きちんと味わえるようになるまで、
私は時間がかかってしまいました。
この古典的探偵小説を、
ぜひ若い段階で
味わって欲しいと願っています。
あなたの人生が、
より豊かになること請け合いです。

(2023.6.9)

〔「シャーロック・ホームズの冒険」〕
ボヘミアの醜聞
赤毛組合
花婿の正体
ボスコム谷の謎
オレンジの種五つ
唇のねじれた男
青いガーネット
まだらの紐
技師の親指
独身の貴族
緑柱石の宝冠
ぶな屋敷
 注釈/解説
 エッセイ「私のホームズ」小林章夫

〔関連記事:ホームズ作品〕

〔光文社文庫:ホームズ・シリーズ〕
「緋色の研究」
「四つの署名」
「シャーロック・ホームズの冒険」
「シャーロック・ホームズの回想」
「バスカヴィル家の犬」
「シャーロック・ホームズの生還」
「恐怖の谷」
「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」
「シャーロック・ホームズの事件簿」
ホームズ・シリーズは
いろいろな出版社から
新訳が登場しています。
私はこの光文社文庫版が一番好きです。

〔関連記事:海外ミステリ〕

ha11okによるPixabayからの画像

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