「眠れる森の美女(作品集)」(ペロー)

そんな童話があるのか?あるのです。

「眠れる森の美女(作品集)」
(ペロー/村松潔訳)新潮文庫

「眠れる森の美女」新潮文庫

「眠れる森の美女」
生まれてきた王女は、
仙女によって百年の眠りを
もたらさせる運命を背負う。
十五、六歳で
眠りについた王女を、百年後、
若い王子が目覚めさせる。
二人はすぐに結婚し、
二年の間に、
二人の子どもも生まれる。
しかし王子の母親は…。

童話といえば、「めでたしめでたし」で
終わると思われていますが、
日本はともかくも
西洋は決してそうではありません。
なんでこんな終わり方?という結末が
数多く見られます。
その代表格がペロー童話集でしょう。
ディズニー映画でおなじみの
「眠れる森の美女」も、
「こんな作品だったのか!」と
驚くこと請け合いです。

百年の眠りから目覚めて
「めでたしめでたし」だとばかり
思っていたのは、
実はグリム版のエンディング。
ペロー版はどうか?
目覚めたあとが恐ろしい展開なのです。
王子様と結婚し、王女となった美女は
二人の子どもを授かります。
ところが、王子の母である王妃は
人食い鬼であり、王子が遠征し、
留守の間に子どもと
王女を食べようとします。
危機一髪、そこを王子が帰還し、
王妃は気が狂い自殺してしまうという、
愛憎まみえる筋書きが
繰り広げられているのです。

「赤頭巾ちゃん」
村一番のかわいい女の子・
赤頭巾ちゃんが、
お祖母さんに届け物をするために
歩いていると、狼と出会う。
狼の問いに
素直に答えた赤頭巾ちゃん。
狼は先回りして
お祖母ちゃんを食べ、
待ち伏せし、
赤頭巾ちゃんをも
平らげてしまう…。

この「赤頭巾ちゃん」にいたっては
もっと衝撃的です。
赤頭巾ちゃんが狼に
食べられておしまいなのですから。
狼のお腹を裂いて救出する猟師は
現れません(猟師の救出劇もどうやら
グリム版エンディングのようです)。
いたいけな女の子が食べられて終了。
そんな童話があるのか?
あるのです。

「猫の親方
  または長靴をはいた猫」

末っ子が遺産としてもらったのは
一匹の猫だけだった。
しかし猫は、
ウサギやヤマウズラを捕まえては
王様に献上し、
それをカラバ侯爵からの
贈り物だと吹聴した。
猫は、自分のいうとおりにすれば
大金持ちになれると
主人に告げ…。

「親指小僧」
捨てられた七人の兄弟が
逃げ込んだ先は、
人食い鬼の家だった。
鬼の妻は子どもたちをかばうが、
鬼は明日の朝には子どもたちを
食うつもりだった。
末っ子の親指小僧は
機転を利かせ、
自分たちの帽子と
七人の鬼の娘の冠を取り替え…。

人食い鬼の登場する二作品、これらは
「めでたしめでたし」なのですが、
人食い鬼をだまし討ちにして
その財産を強奪したのですから、
その幸せにに対する疑念を拭えません。
「猫の親方」の人食い鬼は、
末っ子にも猫にも危害を加えておらず、
強盗殺人の被害者的存在です。
「親指小僧」の人食い鬼は、
小僧とその兄弟を
食べようとしたのですから
やむを得ない一面があるのですが、
その人食い鬼が自分の娘たちを
間違って食い殺すように仕向けるなど、
やはり「童話」としては不適切です。

「とさか頭のリケ」
王妃が産んだ男の子は、
あまりにも醜くて不格好だった。
しかし仙女は、
知性豊かな人物となり、
最愛の相手にも
知性を持たせられるようになると
告げる。
その後、隣国の王妃に、
まばゆいほど美しいが
知性のない女の子が生まれて…。

「美しいが知性のない娘」は
リケから知性を与えられ、
さらに醜いリケに対して
美貌を与えて結婚したのですから、
ある意味「めでたしめでたし」です。
ところが、娘には双子の妹がいて、
「知性に優れているが醜い娘」の方は
まったく何も与えられず、
知性も姉に越されてしまい、
なんの救いも与えられていません。
「知性よりも美しさの方が大切」という
教訓では「童話」とはいえないでしょう。

「青ひげ」
ひどく醜く恐ろしい容貌の
大金持ち・青ひげ。
娘は彼が如才ない紳士と思い、
結婚を承諾する。
ある日、出かける青ひげは娘に
鍵束を渡し、どこでも自由に
入ってかまわないが、
奥の小部屋だけは絶対に
入らないように念を押す。
娘は…。

「サンドリヨン
  または小さなガラスの靴」

彼女は狭い
屋根裏部屋に押し込まれ、
朝から晩まで働かされていた。
お城での舞踏会の日、
継母と二人の姉の着飾るのを
笑顔で手伝う彼女だったが、
三人が出かけた後、
彼女は悲しみに沈む。
彼女は「サンドリヨン」と
呼ばれていた…。

他の作品に比べて、この二作は、
私たちが知っているものと
多きな違いはありません。
しかも「めでたしめでたし」です。
とくに「青ひげ」は、間一髪で
娘の二人の兄が救出に間に合い、
ことなきを得るどころか、
青ひげの財産が
転がり込んできたのですから、
これ以上の
「めでたしめでたし」はありません。

「仙女たち」
誠実で清らかな心を持った妹は、
母親から邪険にされ、
いつも遠くへ
水汲みに出されていた。
ある日、
彼女が水を与えた老婆は、
そのお礼に、彼女が口を開く度、
口から花や宝石がこぼれるように
魔法をかける。
それを見た母親は…。

日本の「こぶとり爺さん」のような
筋書きです。
一応こちらも
「めでたしめでたし」なのですが、
話す度に口から宝石がこぼれ出るなら、
幸せというよりも
むしろ呪いに近いでしょう。

このシャルル・ペロー
1628年生まれです。
一方、グリム兄弟
19世紀の学者です。
童話とは思えないグロテスクな結末を
創り上げたペローと、
童話らしい納得のいくエンディングの
グリム兄弟との間には、
約200年の開きがあったのです。
時代が進むにつれて、
「童話」なるものへの理解と研究が
進んだのかも知れません。

いや、「童話」として
接する必要はないのでしょう。
ペローは子どもに対して
書いたのではないのかも知れません。
「子ども向け」を装って、
その実ブラックジョークを
適切に混ぜ込み、大人向けの
エンターテインメントとして
創り上げた可能性があります。
現代の私たちは、
そうしたことも踏まえて、
この「ペロー童話集」を
愉しもうではありませんか。

〔「ペロー童話集」いろいろ〕

(2023.6.15)

Sarah RichterによるPixabayからの画像

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