彼はいったい何から「逃げた」のか?
「男鹿」(田村泰次郎)
(「百年文庫088 逃」)ポプラ社

ある冬の寒い日、一人の男が、
私を訪ねてきた。
「大木戸登を、ご存じでしょう?」
私は知っていると答えた。
知ってはいるが
私は大陸の戦場で、
彼と別れたきり、
逢ってはいなかった。
「あの男は、鹿になりました。
牡の鹿にね」
終戦直後は…。
警察から追われていた殺人犯が、
逃げおおせた。
しかしそれは捜査の手を
かいくぐったというよりも、
鹿にその身を変え、
自然の中に溶け込んだとしか思えない。
それが本作品の骨子です。
だからといって、
中島敦の「山月記」や、
安部公房得意の変身ものなどでは
ありません。
では、いったい何を描いた作品なのか?
〔主要登場人物〕
大木戸登
…戦後まもなく、殺人を犯し、逃走。
刑事たちの目の前で、
牝鹿とともに姿を消す。
堀川彦次
…元警視庁捜査一課刑事。
現役時代、大木戸登を追い、
牝鹿とともに消える姿を目撃した。
「中年女」
…渋谷の小さな飲屋のおかみ。
大木戸と結婚していたが、
愛想を尽かす。
情夫が大木戸に射殺される。
志保田
…かつて足に銃創を負った大木戸を
かくまった猟師。
途中で警察に密告する。
息子・安吉が大木戸の戦友だった。
志保田みさ
…志保田の娘。かくまっていた
大木戸に恋心をいだく。
「私」
…語り手。
軍隊で大木戸の上官だった。
堀川から大木戸の話を聞き、
その足跡をたどろうとする。
それにしても、殺人犯は、本当に
「男鹿」になったとしか思えないと、
口々に話しているのが印象的です。
堀川はこうも語ります。
「あの牝鹿と一しょになったとしか
思えないんですよ。
あのとき、もつれあって、
夕映えの稜線に浮かびあがった
あの男と、牝鹿との
むつまじそうな影絵芝居のような
黒々とした輪郭を見た私にはね」
さらには、
「山の稜線を走る
あいつの姿を見たときには、
奇妙な神々しさのようなものを
感じましたよ。
逆光で夕日を受けているせいも
あったでしょうが」。
志保田もこう語っています。
「あの男が、そんなにまで
鹿と仲好うなったことじゃ。
野生の鹿は、ちっとやそっとでは、
人間に馴れんもんだがな。
不思議だな」。
そしてその娘・みさも
「あたしは、
はっきりと諦めましたの。
あのひとに、あたしが、
あの牝鹿以上には
近づけないことを、
―あたし、あのひと、
好きだったんです、―」。
追いかけていた刑事も、
密告した猟師も、
殺人犯と知ってかくまった娘も、
牝鹿とともに姿を消した大木戸を、
決して悪くは思っていないのです。
かといって、
メルヘンやファンタジーの類いでも
ありません。
そのような雰囲気は
まったくないのです。
そもそも、語り手「私」が、何のために、
「中年女」や志保田老人を
訪ねていったのか?
堀川から告げられるまでは
ほぼ忘れていた人物の消息を、
「私」はなぜ訪ねていったのか?
手がかりは、「私」が
大木戸とまったく同じような
気質であったことにありそうです。
「大木戸登の存在は、
私自身の分身であることに
変わりはなかった」。
復員後、仕事も家庭も
順調に歩んできた「私」。
戦場での自らの心の
不可解さや不気味さに
向き合うことをせず、戦後、
幸せな生活を送ることのできた「私」。
一方で、
その不可解で不気味な自らの心に、
戦争後も真っ正面から
向き合ってしまったのが
大木戸登だったのかも知れません。
殺人を犯し、逃亡し、
最後は鹿となって姿を消した
一連の流れは、
自らの心と対峙した結果と
捉えることができます。
彼はいったい何から「逃げた」のか?
おそらくは「人間であること」からの
逃走だったに違いありません。
直接的に描かれているのは、
「私」の見聞きしたことだけであり、
大きな事件は起きません
(見聞きしたことの中で
事件が起きていただけ)。
そうでありながら、なんとも
重厚な手触りを持った作品です。
肉体派作家といわれた田村泰次郎の
特徴的な作風なのでしょう。
また素敵な作家に
出会うことができました。
〔田村泰次郎の本〕
1911年生まれの田村泰次郎もまた、
その著作のほとんどが
絶版となってしまった作家です。
新潮文庫とちくま文庫から作品集が
電子書籍として復刊しています。
もっと読んでみたいと思い、
新潮文庫と講談社文芸文庫の作品集を、
古書で購入しました。
いつか紹介したいと思います。
〔「百年文庫088 逃」〕
男鹿 田村泰次郎
幌馬車 ゴーゴリ
三人の見知らぬ客 ハーディ
(2023.6.21)

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