「百年文庫022 涯」

命を燃やし尽くしたかのような人物の「生涯」

「百年文庫022 涯」ポプラ社

「百年文庫022 涯」ポプラ社

「異父兄弟 ギャスケル」
不器用で学業も仕事も
上手くこなせない兄・グレゴリー。
家族から冷ややかな目で
見られる彼を、
弟の「私」も同じように
見下した態度で接する。
ある冬の夜、
道に迷った「私」のもとへ
駆けつけたのは、グレゴリーと
その愛犬であった…。

百年文庫第22巻のテーマは「涯」。
「はて」と読むのですが、
何の「はて」か?命の「はて」です。
三篇とも
命を燃やし尽くしたかのような人物の
「生涯」が描かれている、
百年文庫の中でも
きわめて重厚な一冊です。

一作目「異父兄弟」では、
語り手「私」の兄・グレゴリーの、
自らを犠牲にして弟・「私」の命を救う
生涯が筋書きとなっています。
学校へ通っても何も身につけることが
できずに退学となり、
仕事をさせても覚えが悪く、
ほとんど役に立たないグレゴリー。
周囲(養父や「私」を含めて)からは
「愚か」と蔑まれているのですが、
決してそうではないことが、
最後に明かされます。

「流刑地 パヴェーゼ」
イタリアの南の果てに、
流刑に処せられた「ぼく」は、
そこで同じ流刑者の工員・
オティーノと知り合う。
女から届けられた
絵葉書を手にして、
彼は力なく呟く。
「若い女が挨拶だけを
書き送ってくるようでは、
ぼくを裏切っている証拠さ」…。

二作目「流刑地」は、一読しただけでは、
作者が何を表現しているのか、
皆目見当がつかない作品です。
ただただ重く暗い、
陰鬱な雰囲気だけが漂う、理由不明の
後味の悪さを感じさせる内容なのです。
しかし、丹念に読み込めば、
最後の一文
「光の死に絶えた朝、ぼくは旅だった。
 自分の宿命へ向って」
が、
語り手「私」の、
恐ろしい末期を暗示しているのです。

「私」は刑期を終えて
帰郷するのでしょうが、それは
希望に満ちたものではないのです。
「光の死に絶えた朝」ですから。
そして「自分の宿命」とは、
決着をつけることであり、
その「決着」とは、女に復讐、
おそらくは殺害することとしか
読み取れないのです。

「碑 中山義秀」
高範はじっと
彼の顔をながめていたが、
顫えぎみの片手をつとのばして、
弟のつめたい額にあてると、
「お主は我が意どおりに
 世の中を渡ってきた。
 何も思い残すことは
 御座るまい」と
おののく声をはりあげて、
不意に涙をぽたぽたと…。

三作目「碑」には、
二人の兄弟の生涯が描かれています。
斑石高範と茂次郎の兄弟、
二人とも波瀾万丈の生き方です。
高範は財を築いたのですが、
その生活は孤独に覆われています。
先妻は死亡し、
後添えの若い妻は不倫に走り、
晩年にまでずっと独り身だったのです。
容赦なく取り立てる金貸しとなり、
相貌も強面となったため、
誰も心を許す者はありません。
幸せとは決していえないでしょう。
一方の茂二郎も、
剣を捨てることができずに、
放浪を繰り返すのです。
最後は百姓として
生きようとするのですが、
それでも剣術にこだわり続け、
道場で命を終えます。

三作品それぞれ
主人公の生涯を追っているため、
短篇でありながらも
筋書きが濃密であり、
文体も厚みがあり、
読み終えると長編小説を味わったような
充足感を感じます。

さて、カバー裏の紹介文の末尾に
「過酷な境遇を生き抜いた人々が、
人生の果てに見た景色」とあります。
「異父兄弟」のグレゴリーが
降り積もる雪の中で見たものは、
温かい家族の団らんであり、
「流刑地」の「私」が、
書かれざる最後の瞬間に見たものは、
おそらくは絞首台であり、
「碑」の斑石兄弟の場合のそれは、
激しく流れる
時代の奔流といったところでしょうか。

「異父兄弟」の作者・ギャスケル
イギリスの女性作家であり、
人間の心の中にある「優しさ」を
覚醒させるような作品を
数多く残しています。
「流刑地」のパヴェーゼ
イタリアの作家であり、
反ファシズムの思想の
持ち主だったため、当局の弾圧により、
イタリア半島南端の僻村
ブランカレオーネに流刑されています。
「碑」の中山義秀は、
子を失い、妻を失い、教職を辞し、
背水の陣で文学に賭けるという
作家人生を送った人物です。
このような異色の三作家が
一冊に収まるのは
百年文庫ならではといえるでしょう。
素敵な作品と作家に出会うことのできる
貴重な一冊です。
ぜひご賞味ください。

〔「百年文庫022 涯」〕
異父兄弟 ギャスケル
流刑地 パヴェーゼ
 中山義秀

〔ギャスケルの本はいかがですか〕
残念ながら、本書2冊以外、
絶版状態のようです。
以下のような本が
入手しやすいようです。
「女だけの町」(岩波文庫)
「シルヴィアの恋人たち」(単行本)
「メアリ・バートン」(単行本)

〔パヴェーゼの本はいかがですか〕
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〔中山義秀の本について〕
無名時代の長い苦節を経て「厚物咲」、
そして本作「碑」で文壇に登場した
中山義秀。
デビュー当時は
重厚な文学作品が多かったのですが、
後年は、戦国武将物や剣豪物など
大衆文学に傾倒しました。
電子書籍でいくつか復刊されています。
「戦国史 斎藤道三」
「中山七里」
「真剣豪伝」
「戦国残党伝」

絶版となっているものも多数あります。
以下の本が古書として
比較的容易に入手できそうです。
「咲庵」
「芭蕉庵桃青」
「土佐兵の勇敢な話」

三作家の作品、味わってみませんか。

(2023.7.4)

Pixabayが提供するCallan Reynoldsの動画

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