B級ホラーではない、上質な「ほどよい怪談」
「兜」(岡本綺堂)
(「百年文庫090 怪」)ポプラ社

わたしはこれから
邦原君の話を紹介したい。
邦原君は東京の
山の手に住んでいて、
大正十二年の震災に
居宅を焼かれたのであるが、
家に伝わっていた古い兜が
不思議に唯ひとつ助かった。
邦原君自身や家族の者が
取出したのではない…。
夏といえば怪談、
怪談といえば岡本綺堂です。
「三浦老人昔話」や「青蛙堂鬼談」などの
百物語風の怪談ものを著したり、
ビアスやキプリングといった
海外の作家の怪談・幽霊ものを
翻訳(翻案)したりした岡本綺堂。
本作品もさぞかし
恐ろしい筋書きかと思えば、
意外にそうではありません。
〔主要登場人物〕
「わたし」
…語り手(本作品は入れ子構造の小説。
その額縁部分の語り手)。
「邦原君」
…いわく付きの兜の現在の持ち主。
邦原勘次郎
…「邦原君」の父親。元は武家。
いわく付きの兜と三度出会う。
邦原勘十郎
…勘次郎の父。
金兵衛
…兜を買い取った日の夜、
何者かに斬りつけられる。
古道具商。
善吉
…兜を買い取った日の夜、斬殺される。
古道具商。
「左の眼の下に小さな痣のある女」
…兜に関わって目撃される女。
女の子を連れ、
破れた番傘をさしている。
盗まれたかと思うと、
不意にまた巡り会う「兜」。
都合四度、邦原家へ巡ってくるのです。
「兜」の変遷を、時系列で見てみます。
①古道具屋が兜を入手
売り手は「痣のある女」
②金兵衛が兜を入手、その晩、斬られる
勘十郎・勘次郎が兜を買い取る
③何者かに兜を盗み出される
④兜が善吉の手に渡る
善吉、兜を抱えたまま死亡
⑤勘次郎、兜購入を断念。
⑥勘次郎、戦場で兜を拾う
その後、民家に落ちのびる
民家の主は「痣のある女」
⑦「痣のある女」は兜を所望、
勘次郎は譲り渡す
⑧勘次郎、夜店にて兜と三度邂逅
兜を購入、以来邦原家に
⑨震災で「邦原君」一家避難
家屋家財道具焼失、兜消息不明
⑩兜だけが避難場所に届けられる
届けたのは「痣のある女」
なんとなく怪談めいているのは、
「都合四度、
邦原家へ現れた」ことのほかに、
「痣のある女」が
関わっていることでしょうか。
この「痣のある女」は、
いつも二十七八の姿で、
小さな娘と一緒であり、
破れた番傘をさした姿で
目撃されているのです。
また、
「買い取った古物商が襲撃される」のも
怪談といえるかもしれません。
「塚原君」自身は
「怪談」と捉えているのですが、
そうとは言い切れない部分も
数多く見られます。
一つは、邦原家の人間は全く危害を
受けていないということです。
兜に関わった二人の古物商は
何者かに斬りつけられているのですが、
勘次郎や「邦原君」自身は
全く厄災を被っていないのです。
祟りなどが起きているわけでは
ないのです(幸せを運んでもいない)。
ただ巡り会ってしまうだけなのです。
もう一つは、
「左の眼の下に小さな痣のある女」の
役回りです。
古物商に兜を売り渡したかと思えば、
数年後には勘次郎からもらい受ける、
さらには焼け出された「邦原君」へ
送り届ける。
この「女」が一体兜をどうしたいのか
不明です。
「女」は決して兜を取り戻そうと
しているのではないのです。
この「なんとなく怪談」といった味わいが
いいのかも知れません。
兜の祟りで所有者が死ぬ、などという
筋書きでは
B級ホラーに堕落してしまうでしょう。
「よく分からないけれども
不思議で奇っ怪」といったあたりで
押さえているからこそ、
軽妙で上質な「ほどよい怪談」に
なっているのだと思うのです。
ただし、最後の一文が曲者です。
その「左の眼の下に
小さな痣のある女」について、
「わたし」はこう語って、
物語を結んでいるのです。
「どうかその届け主を
早く見付け出して、
彼の迷いを
さまして遣りたいものである」。
つまり語り手「わたし」は、
怪談などを全く信じていないのです。
綺堂は「ほどよい怪談」として
本作品を描き上げたのか、
それとも兜にまつわる一連の話を
「怪談」と捉えている
「邦原君」のような人間を
揶揄しているのか。
どちらであっても
本作品は十分に愉しめます。
蒸し暑い日本の夏の夜に、
ぜひご賞味ください。
(2023.8.1)
〔関連記事:岡本綺堂作品〕
〔岡本綺堂の本はいかが〕

【関連記事:怖い話の本】
【百年文庫はいかがですか】
【今日のさらにお薦め3作品】