「古都」(川端康成)

抑制した筆致で描かれる、静かに燃える若者の感情

「古都」(川端康成)新潮文庫

「古都」新潮文庫

上のすみれと下のすみれとは、
一尺ほど離れている。
年ごろになった千重子は、
「上のすみれと下のすみれとは、
 会うことがあるのかしら。
 おたがいに
 知っているのかしら。」と、
思ってみたりする。
すみれ花が
「会う」とか「知る」とかは…。

粗筋ではなく、
作品冒頭に記されている、
展開する筋書きに繋がる一節を
拾ってみました。
川端康成の名作「古都」です。
私は川端作品とは相性が悪く、本作品も
時間がかかりましたが、
ようやく読むことができました。

九つからなる章は、
「春の花」「尼寺と格子」
「きものの町」が春を、
「北山杉」「祇園祭」が夏を、
「秋の色」「松のみどり」
「秋深い姉妹」が秋を、
「冬の花」が初冬を、
それぞれ舞台とし、そこに京都の四季が
彩り豊かに盛り込まれています。
本作品は、
そうした美しい古都・京都の風情、
そして日本の失われた原風景を
堪能する作品であり、
そうした評価・書評を
いくつもこれまで目にしてきました。
私はそれ以上に、作者・川端康成の、
人物描写、それも若い登場人物たちの
描き方に感銘を受けました。

〔主要登場人物〕
佐田千重子
…京都中京にある呉服問屋の一人娘。
 美しい。二十歳。
佐田太吉郎
…千重子の養父。呉服問屋を経営。
 自らも図案を書く。
佐田しげ
…千重子の養母。
苗子
…千重子の双子の姉妹。
 北山杉の加工の仕事をしている
 貧しい娘。両親は早逝。
水木真一
…千重子の幼馴染み。大学生。
 千重子に好意を寄せている。
水木竜助
…真一の兄。大学院生。
 大問屋の長男。
 千重子に好意を寄せている。
 千重子に番頭を調べるよう助言する。
大友宗助
…西陣織屋。
 太吉郎の店と付き合いが長い。
大友秀男
…宗助の長男。西陣織の職人。
 父親以上の技術者。
 苗子に結婚を申し込む。
植村
…太吉郎の店の番頭。
 帳簿をごまかしているらしい。
真砂子
…千重子の友人。

主人公・千重子は、捨て子です。
呉服問屋・佐田家の
一人娘として育ってきたのです
(両親はすでにそれを打ち明けている)。
それが実は双子であり、
生き別れた妹と
出会いを果たすのですが、
劇的な要素は皆無です。
祇園祭の夜の邂逅に過ぎません。
川端はそこに過度な演出を
盛り込むことを嫌ったのでしょう。
描かれ方は実に淡々としています。

それ以後の筋書きも同様です。
二人の間に葛藤やすれ違い、
誤解や偏見などは盛り込まれず、
千重子と両親の間に
亀裂が入ることもありません。
展開に起伏を持たせて読み手を
引きつけようなどという気持ちは、
川端には微塵もないのでしょう。

それだけでなく、二人の感情も、
きわめて抑えられた
表現となっているのです。
双子の妹の存在に対する
驚きと喜びと興味、
養父母に対しての戸惑い、
自身と比べて貧しい境遇の妹への憐憫、
そうした千重子の感情もまた、
抑制された筆致で、薄味ながらも
緻密に書かれてあるのです。

真一・竜助兄弟の、
千重子に寄せる思いにも、
特段の熱さは持たせていません。
どこまでも穏やかに描かれ、しかし
読み手には十分伝わってくるのです。
それは秀男の、
千重子・苗子に対する思いにも
見られることです。

若い登場人物たちが、
内気で慎ましやかな
性格だからではありません。
千重子はどちらかと言えば
勝ち気な行動をしているし、
苗子もしっかりしたものの考え方を
していて行動的です。
竜助も、大店の嫡男でありながら
千重子の店(規模からすると格下)に
「見習い」として入るなど、
かなり大胆な気質です。
秀男も無愛想ながら、
内に秘めている情熱を感じさせます。
それらを勢いに任せて
若者らしく描くのではなく、
表面的には穏やかでありながら、
それがしっかりと感じ取ることが
できるような描写となっているのです。
上質な昆布から丁寧に取った出汁を
味わうかのような印象を受けます。

千重子・苗子・竜助・真一・秀男が、
実に生き生きと
描かれているだけでなく、
そこに新しい時代の到来さえ
予感させます。
千重子や竜助は、
明らかに旧来の価値観を脱しています。
筋書きがこのまま新香するとすれば、
竜助は大店の嫡男から
小店の入り婿という、
それまでの商家の慣習とは
異なった生き方をするのでしょうし、
千重子も黙ってかしずく妻ではなく、
店の経営に参画していくことが
予想できます
(番頭・植村に対する行動から)。
何ら刺激的な展開が
用意されていないにもかかわらず、
新しい時代と新しい日本の姿が
明確に提示されているのです。

作品の舞台では、消えゆくもの、
失われつつある美しいものを
ふんだんに埋め込みながら、
そこで動く人物たちには、
新しい時代の流れを
存分に盛り込んでいるのです。
本作品がノーベル文学賞授賞対象作と
なったのも納得できます。
これが日本文学の神髄であるといっても
過言ではないはずです。

最近の小説は、
筋書きに刺激を求めすぎる余り、
脂ぎったジャンク・フードのようなもの
ばかりになりました。
質の高い日本料理のような本作品を
味わってみませんか。

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その多くは、
以上のように新潮文庫から出ています。
ここ数年で、洗練されたデザインの
表紙に一新されています。
表紙は大切です。

(2023.9.4)

Brigitte WernerによるPixabayからの画像

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