感じるのは、執拗なまでの「二重構造」
「眉かくしの霊」(泉鏡花)
(「泉鏡花集成6」)ちくま文庫

「眉かくしの霊」(泉鏡花)
(「百年文庫090 怪」)ポプラ社

「旦那、旦那、旦那、提灯が、
あれへ、あ、あの、
湯どのの橋から、
……あ、あ、ああ、旦那、
向うから、私が来ます、
私とおなじ男が参ります。
や、並んで、お艶様が。」
境も歯の根をくいしめて、
「しっかりしろ、
可恐しくはない、…。
昨日、押川春浪の「幽霊小説集」の
一篇について取り上げました。
続いて読んだのが、
泉鏡花の本作品です。
幽霊といえば泉鏡花と言われるくらい、
幽霊や妖怪が絡む作品の多い
鏡花ですが、本作品は
その代表的な一篇といえるでしょう。
〔主要登場人物〕
境賛吉
…木曾奈良井宿で不思議な体験をする。
伊作
…境が宿泊した宿の料理人。
お米
…境が宿泊した宿の女中。
代官婆
…かつて庄屋だった家の婆。訴訟狂。
学士先生
…代官婆の息子。東京の中学校校長。
若夫人
…学士先生の妻。奈良井宿で
姑・代官婆と二人で暮らしていた。
絵師さん
…学士先生の親友。妻と喧嘩し、
家出をした旅先で、
代官婆の家に世話になっていた。
柳橋の蓑吉(お艶)
…絵師さんの愛妾。美しい女性。
桔梗ヶ池の怪しい奥様(お艶様)
…桔梗が池の妖怪変化か(?)。
通称お艶。
眉を剃り落とした美しい女性の姿。
ざっくりと捉えれば、
お艶の幽霊が現れるという作品です。
境が浸かろうとしていた湯殿に、
二度にわたって、
いるはずのない先客があり、
それがお艶の幽霊なのです。
さらにそれは境の部屋にも現れます。
しかし鏡花作品は、
読み手の恐怖心を煽るだけの
ホラー小説とはまったく異なります。
したがって、粗筋を追っても
作品理解には繋がりません。
私が本作品から感じるのは、
「執拗なまでの二重構造」です。
お艶は一年前には現実の女性として
奈良井宿へ現れたのですが、
気の違った猟師に撃ち殺され、
霊として現れます。
悲劇の女性としてのお艶と
あやかしの存在としてのお艶が
交錯しています。
そのお艶は、元来
その地の霊体のような存在の
呼び名であり、
現実のお艶は、その姿に近づくため、
眉を剃り落とし、霊体と遜色ない
美貌まで己の姿を高めたのです。
ここにも存在の重なりが見られます。
また現実のお艶は
絵師の愛妾なのですが、
絵師に掛けられた
姦通の冤罪を晴らすために、
本妻に懇願され、その代理として
奈良井宿へと足を運んだのです。
その役割も重なっているのです。
お艶が猟師に撃たれる場面は、
冒頭部分での境の話の中に
隠されています。
鶫の附け焼きを食した芸奴の口が、
鶫の血で染まっているのは、
お艶の死に様を暗示している上、
その顛末も以下のように語られます。
「魔のさした猟師に、
狙い撃ちに二つ弾丸を食らう……
昔から、夜待ち、
あけ方の鳥あみには、魔がさして、
怪しいことがある…」。
そのお艶の死に瀕した口元から、
「三条に分かれた血が垂れ」るのですが、
それは宿の三つの水栓から
流れっぱなしにされる水が
擬えています。
宿の幾度も消える電灯は、
お通夜に同行した
伊助の提灯を模したものでしょう。
境の部屋に現れたお艶の霊は、
姿を白鷺に変え、
魚へと変化させた境を咥えて
舞い上がります
(それが夢か幻か分かりませんが)。
それもその前に描かれている、
宿の池の魚が鷺に狙われているという
伏線の回収となっているのです。
最後の場面では、境とともに伊作が、
お艶の霊を目撃するのですが、
彼はそれとともに、
お艶を先導する自身の姿
(いわゆるドッペルゲンガーか?)も
目にしているのです。
それが粗筋代わりに
冒頭に掲げた一節となるのです。
さて、伊作が持っていた提灯に
描かれてるのが「二つ巴の紋」であり、
それは二度にわたって
お艶が湯殿に現れた場面にも
描かれています。

そして狙撃される直前のお艶の台詞
「暗くなると、巴が一つになって、
人魂の黒いのが歩行くようね」が
表すように、
二つの世界の絡み合いを
暗示しているようにも
捉えられるのです。
主人公・堺の名前もまた、
二つの世界の「境界」と読み解くことが
可能です。本作品の、
どこまでが現実でどこからが異世界か
まったく不明瞭な世界を
結びつけている「境界」こそ、
「境」なる人物が体験した
一部始終なのかも知れません。
まだまだ残暑の残る夜に、
最適の一篇です。
ぜひご賞味ください。
〔「泉鏡花集成6」〕
眉かくしの霊
陽炎座
革鞄の怪
唱立山心中一曲
菎蒻本
第二菎蒻本
白金之絵図
茸の舞姫
歌行燈
南地心中
〔ちくま文庫「泉鏡花集成」〕
全14巻からなる、
泉鏡花の素敵な文庫版全集なのですが、
残念ながら絶版状態です。
古書で求めても
かなり値が張るようです。
復刊を望みます。
〔関連記事:泉鏡花の作品〕
〔泉鏡花の本はいかがですか〕
〔「百年文庫090 怪」〕
喪神 五味康祐
兜 岡本綺堂
眉かくしの霊 泉鏡花
〔「百年文庫」はいかががですか〕
(2023.9.12)

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