
誰も救われない、でもそれなりに結末は爽やか
「黒と茶の幻想(上)(下)」(恩田陸)
講談社文庫
学生時代の同窓生の男女四人は、
太古の森をいだく
Y島へと旅に出る。
深い森に踏み入った四人は、
お互いの過去に横たわる「謎」に
意識を向けざるを得なくなる。
十数年前のある日、
共通の知人である美しい女性が
姿を消した真相は…。
恩田陸の「三月は深き紅の淵を」
「麦の海に沈む果実」を読み、
本書「黒と茶の幻想」に
たどり着きました。
それぞれまったく異なる
世界でありながら、
その一部が重なり合うという
不思議な構成は、恩田陸の得意技です。
頁をめくる手を止めることができず、
一気に読んでしまいました。
〔主要登場人物〕
室田(高田)利枝子
…「第一部 利枝子」の語り手。
学生時代、交際していた辻蒔生から
突然別れを切り出された過去を持つ。
三崎彰彦
…「第二部 彰彦」の語り手。
Y島への旅を企画。美男子。
蒔生を尊敬している。
辻蒔生
…「第三部 蒔生」の語り手。
半年前に妻子と別れ、
一人暮らしをしている。
本間節子
…「第四部 節子」の語り手。
利枝子・彰彦・蒔生の三人と
等距離で接している。
梶原憂理
…学生時代、利枝子の親友だったが、
突然失踪する。人形のような美女。
三崎紫織
…彰彦の姉。弟・彰彦の友人と
次々に関係を持つ。
辻(柘植)愛美
…蒔生の妻。蒔生から一方的に
離縁を突き付けられる。
本間則之
…節子の夫。
末期癌で余命幾ばくもない。
長沢友紀
…彰彦の高校時代の親友。
高校二年の夏、謎の死を遂げる。
菅谷潔
…利枝子ら四人と大学の同期。
本作品の味わいどころ①
何かが起きそう、
でも旅の三日間何も起きない
旅の目的地は九州から船で渡る
Y島(明らかに屋久島)。
都会の喧噪とは無縁の島。
太古の自然が宿る深い森。
人知を超えた神秘的な舞台が
用意されているのです。
描写のいたるところに
何かが起こる予感が示されています。
利枝子・彰彦・蒔生・節子の四人の関係も、
単なる仲良し四人組ではありません。
微妙な緊張感を孕んだ四人なのです。
いったい何が起きるのか?
ドキドキしながら読み進めましたが…、
上下巻全760頁を読み終えても、
事件は何も起きません。
以前読んだ
「夜のピクニック」と同じ傾向です。
筋書きの大部分は、
Y島探索の最中および
宿泊先のホテルでの
「会話」から成り立っているのですから。
島での事件といえば、
森の中で不思議な少年と
出会ったことくらいです(それも
筋書きの中でさほど重要といえない)。
それでもぐいぐいと読み手を引きつける
吸引力の強さはさすが恩田陸です。
何かが起きそうで、
でも何も起きないというのが、
現代の小説の
新しい面白さと考えられます。
本作品の味わいどころ②
謎が解明される、
でも解き明かされないものも
その会話の
何が読み手を引きつけるのか?
「謎解き」です。
したがって本作品は
ある意味で「ミステリ」なのです。
四人の共通の知人・憂理の失踪の真相を
解き明かすのが、本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
蒔生が利枝子に別れを告げ、
その親友である憂理に乗り換える。
大学卒業時に、憂理の一人芝居の
上演に四人も招待される。
そこに現れなかった蒔生が、
閉幕後の会場で、憂理を
殴りつけている場面が目撃されている。
その後、憂理は消息不明。
もしかしたら蒔生が憂理を
殺害したのか?
しかも過去の「謎」の多くが、
その一件に複雑に絡み合って
関係しているのです。
お互いに信頼し合いながらも、
お互いに疑念を感じ、
腹の探り合いをしています。
丁々発止のやりとりが、
お互いの会話の中で
静かにさりげなく行われ、
謎が次第に解き明かされていく過程が
圧巻です。
それでいて、
読み終えたあとに整理してみると、
解決されていない「謎」も
いくつか見つかります。
すべてについて一つ一つ丹念に
辻褄を合わせようとするのではなく、
重要ではない「謎」は
そのまま「謎」として残し、
見通しをよくしているのも、
現代の小説の
新しい面白さと考えられます。
本作品の味わいどころ③
誰も救われない、
でもそれなりに結末は爽やか
その謎解きの過程で明らかになるのは、
「精神的な崩壊」
「肉親の倒錯した性」
「自殺とその幇助」など、
陰惨なものばかりです。
明らかにすべきでないもの、
知らないほうがよかったこと、
忘れたままのほうが幸せだったもの、
それらを掘り返しても、
四人の中で誰も救われていないのです。
でも、それなりに結末は爽やかです。
過去の自分と向き合い、
それを受け止め、乗り越えた
(かどうかは今ひとつ不明なのですが)
という爽快感が
十分に漲っているのです。
「第三部 蒔生」で終わっていれば、
陰鬱な雰囲気で終わっているのですが、
冷静な第三者的存在の節子に
語り手を委ねた「第四部 節子」の設置が
功を奏しています。
悲劇的な結末の予想が
頭から離れなかったのですが、
それを爽快感まで引き上げて
結末させた作者の手腕に脱帽です。
読み手に悲劇を予想させて、
あえてそこに持ち込まずに
幕を閉じるのも、
現代の小説の
新しい面白さと考えられます。
と、現代の小説の新しい面白さと
記しましたが、
本作品の発表は2001年。
すでに二十年以上が経過しています。
ところどころに挿入されている
高校・大学時代の回想場面は
明らかに1980年代。
今となってはレトロな雰囲気さえ
感じられるのですが、
作品そのものの持つ革新性や前衛性は、
現代でもまったく色あせていません。
深まりつつある秋の読書に
いかがでしょうか。
(2023.10.23)
〔恩田陸「理瀬シリーズ」〕
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