「痴人の復讐」「血の盃」(小酒井不木)

ただただ「恐怖」があるだけの復讐劇二篇

「痴人の復讐」「血の盃」(小酒井不木)
(「小酒井不木集 恋愛曲線」)
 ちくま文庫

「痴人の復讐」(小酒井不木)
(「新青年傑作選集4」)角川文庫

「絶対に処罰されない殺人の
最も理想的な方法は
何でしょうか?」
「それは殺そうと思う人間に
自殺させることだと思います」
「然し、
自殺するような事情を作ることは
非常に困難でしょう」。
で、C眼科医は小咳を一つして、
語り始めた…。
「痴人の復讐」

花嫁の前に盃が運ばれた。
花嫁は顫える手をもって
盃を取り上げた。
酒は少女によって軽く注がれた。
と、その時のことである。
ポタリ!天井から一滴、
赤い液体が盃の中に落ちて、
パッと盃一杯に拡がった。
天井から続けざまに…。
「血の盃」

明治生まれで昭和初期に活躍した
医療ミステリ作家・小酒井不木
短篇です。
この二篇は、ミステリというよりも
もはやホラーです。
謎解きやトリックがあるわけでもなく、
ただただ「恐怖」があるだけの
復讐劇なのですから。

〔「痴人の復讐」登場人物〕
「私」(C眼科医)
…本文の語り手。怪奇と戦慄を求める
 「殺人倶楽部」の例会で、
 過去の体験を語る。
 挙動が鈍く、周囲から「のろま」と
 蔑まれる。
 時間をおいて必ず復讐を遂げる
 陰湿で執念深い性格。
S教諭
…「私」が所属した眼科教室の主任。
 責任感が強い。
 「私」を罵りながらも丁寧に指導する。
「彼女」
…若い女性入院患者。緑内障。
 劇場の女優。検査の遅い「私」を罵る。

〔「血の盃」登場人物〕
荒川あさ子

…20歳。純粋な性格の少女。
 良雄の悪疾に感染し、失明する。
 自分を裏切った良雄に復讐する。
木村良雄
…素封家の一人息子。
 東京の学校に通うが素行不良の傾向。
 幼馴染みのあさ子と
 人目を忍ぶ中になるが、
 失明したため捨てる。
荒川丹七
…あさ子の父親。妻と駆け落ちし、
 村に落ちのびる。
 その際、良雄の父に
 面倒をみてもらった恩がある。

本作品の味わいどころ①
被害者はどこにでもいる人間

「復讐」というと、
その「復讐」を受ける側の人間が悪人で、
復讐者が悲しい運命を背負った人間、
という構図が容易に想像されます。
しかしこの二篇に描かれているのは
「過剰復讐」とでもいうべきものであり、
復讐を受ける側は
それほど悪人という人物像でもなく、
「痴人」はやや性格が意地悪、
「血の盃」もよくある無責任男
(悪い感染症を持っていたのですが)と
いっていいあたりです。
そのどこにでもいそうな人物が
過酷な「過剰復讐」を受けるのですから、
ただただ恐怖しかないのです。

本作品の味わいどころ②
復讐者は執念深い異常人格者

さらに、復讐者は精神異常としか
いいようのない性格です。
「血の盃」は感染させられた病によって
精神異常をきたしたのですが、
「痴人」は生まれつきの異常性格者で、
同情の余地などまったくありません。
むしろ復讐の被害者こそが
可哀想に思えるくらいです。
異常な性格の人間が
執念深く復讐を完遂するのですから、
ただただ恐怖しかないのです。

本作品の味わいどころ③
理不尽な分だけ恐ろしい復讐

その復讐の方法も陰湿です。
「痴人」は単純な方法で医療ミスを誘い、
女優を失明させるとともに、
執刀医のS教諭を
自死に至らしめています。
文句を言われたり
強い口調で指導を受けたりした結果、
このようなむごたらしい復讐を
実行するのですから
理不尽としかいいようがありません。
「血の盃」も、自分を捨てた男を
失明させるとともにに、
その妻となった女性の精神も
崩壊させてしまうのです。
周囲のものまで巻き込む
理不尽極まりない復讐劇に、
ただただ恐怖しかないのです。

単純なホラーではなく、
そこに医学的知識を潜ませ、
現実に起こりうる恐怖として
仕上げているのが
小酒井作品の魅力でしょう。
「痴人の復讐」は大正14年、
「血の盃」は15年の発表であり、
もはや古典ミステリの範疇なのですが、
その面白さと臨場感は
まったく色褪せてはいません。
秋の夜長の読書による
恐怖体験をお楽しみください。
残念ながら
本書はすでに絶版となっていて、
紙媒体では読むことができません。
青空文庫からどうぞ。

(2023.11.10)

〔青空文庫〕
「痴人の復讐」(小酒井不木)
「血の盃」(小酒井不木)

〔小酒井不木のミステリ〕
21世紀に入ってから、論創社より
「小酒井不木探偵小説選」(2004年)、
「小酒井不木探偵小説選Ⅱ」(2017年)、
河出文庫から
「疑惑の黒枠」(2017年)、
パール文庫からは
「少年科学探偵」(2013年)、
そして光文社文庫
「ミステリー・レガシー」(2019年)と
出版が続き、
さらには青空文庫の収録も
充実してきました。
小酒井不木再評価の兆しが
見えています。ぜひご一読を。

〔小酒井不木集 恋愛曲線〕
恋愛曲線
人工心臓
按摩
犬神
遺伝
手術
肉腫
安死術
秘密の相似
印象
初往診
血友病
死の接吻
痴人の復讐
血の盃

猫と村正
狂犬と女
鼻に基く殺人
卑怯な毒殺
死体蠟燭
ある自殺者の手記
暴風雨の夜
呪われの家
謎の咬傷
新案探偵法
愚人の毒
メヂューサの首
三つの痣
好色破邪顕正
闘争

〔「新青年傑作選集4」〕
ヤトラカン・サミ博士の椅子 牧逸馬
死屍を食う男 葉山嘉樹
紅毛傾城 小栗虫太郎
可哀想な姉 渡辺温
鉄鎚 夢野久作
痴人の復讐 小酒井不木
柘榴病 瀬下耽
告げ口心臓 米田三星
聖悪魔 渡辺啓助
本牧のヴィナス 妹尾アキ夫
エル・ベチョオ 星田三平
マトモッソ渓谷 橘外男
芋虫 江戸川乱歩

〔関連記事:小酒井不木の作品〕

「恋愛曲線」
「犬神」
「紅色ダイヤ」
ntnvncによるPixabayからの画像

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「黒蝶呪縛」
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