愛情はバトンのように受け渡され
「そして、バトンは渡された」
(瀬尾まいこ)文春文庫
困った。全然不幸ではないのだ。
少しでも厄介なことや困難を
抱えていればいいのだけど、
適当なものは見当たらない。
いつものことながら、
この状況に
申し訳なくなってしまう。
「その明るさは
悪くはないとは思うけど、
困ったこと…。
当ブログで紹介するまでもなく、
2019年の本屋大賞のほか、
数々の賞を受賞し、
2021年には映画化までされた
瀬尾まいこの大ヒット作です。
世の中でもてはやされているうちは
読まないという
悪癖を持っている私は当然、
単行本が書店で平積みに
されているときも手を出さず、
映画化を記念して文庫化されたときも
無視を決めつけ、
世の中のブームが一段落し、
ブックオフに文庫本が出回り始めた
段階で購入しました。
失敗です。
こんな素敵な作品なら、
もっと早く読んでおけばよかったと、
後悔しています。
〔主要登場人物〕
「私」(森宮優子)
…本編の語り手。
親の結婚・離婚を機に、姓が
水戸・田中・泉ヶ原と変わり、
森宮姓となっている。
実の母とは三歳で死別。
梨花
…優子の継母。水戸、泉ヶ原、
森宮と、結婚と離婚を繰り返す。
水戸秀平
…優子の実の父親。
優子が小学校三年生の夏、
梨花と再婚。
しかし優子が小学校五年生の春、
ブラジルへの転勤に伴い、離婚。
梨花に優子の養育を任せる。
泉ヶ原茂雄
…資産家。優子の小学校卒業時、
梨花と結婚し、
優子の二番目の父親となる。
結婚後間もなく梨花は家出し、
優子の中学校卒業まで父親を務める。
吉見
…泉ヶ原の使用人。
森宮荘介(「俺」)
…東大出のエリート社員。
優子の中学校卒業時、梨花と結婚し、
優子の三番目の父親となる。
結婚後、二ヶ月で
梨花が失踪したため、以降、
父子家庭となる。
序文・末文での語り手。
田所萌絵・佐伯史奈
…高校三年時の優子の親しい友人。
浜坂
…優子に気があったが、
告白せずに終わる。
脇田
…高校卒業間際、優子と交際する。
早瀬賢人
…優子とは高校で同学年。
ピアノの才能を持つ。
二十一歳になってから優子と再会、
交際する。
墨田・矢橋
…優子に意地悪をする女子生徒。
向井先生
…優子の高校三年時の担任教師。
大家さん
…優子が梨花と二人暮らししていた
アパートの大家。
山本
…短大を卒業した優子が勤めている
食堂の店主。
本作品の味わいどころ①
味わいのある展開、小説を読む愉しさ
物語は優子が高校三年生を迎えた春から
卒業までの1年を描いた第1章と、
短大を卒業し、
再会した早瀬と結婚するまでを描いた
第2章に分かれています。
その第1章は、
展開の途中に小学校三年生から
これまでの経緯が織り込まれ、
優子が血のつながらない、
本来他人であるはずの森宮と
なぜ同居するにいたったかが
説明されているのです。
現在進行で描かれている
日常の出来事に関連させ、
過去を少しずつ提示する手法は、
それだけで読み手をハラハラドキドキ
させる効果を生んでいます。
劇的な事件は優子を取り巻く
保護者の変遷に絞られ、
それ以外には筋書きを大きく
転換させるものは起こりません。
特に現在進行形で語られる部分は、
まったく事件は起きていないのです。
それでいながら、
本作品には読み手を弛緩させる部分が
まったく存在せず、
最後まで面白く読み通すことができる
仕掛けになっているのです。
ここに本作品を読む
面白さがあるのです。
本作品の味わいどころ②
不幸な設定でありながら、幸福な展開
苗字が三回も変わったなどというと、
不幸な境遇であることが多いはずです。
その都度、親の結婚・離婚が
絡んでくるのですから。
本作品でも主人公・優子が
物心ついてからの保護者は、
①実の父親・水戸との父子家庭、
②水戸・梨花、
③梨花との母子家庭、
④泉ヶ原・梨花、
⑤泉ヶ原との父子家庭、
⑥森宮・梨花、
⑦森宮との父子家庭、
となっているのです。
しかも③以降は、
血のつながらない大人との生活です。
それでいながら、
筋書きは「幸福」に満ちています。
その「幸福」は、
不幸の中に小さな喜びを
見つけるようなものではなく、
天から幸せが舞い降りてくるような
ものでもありません。
ごくありふれた日常の連続です。
その日常の連続の中に、
幸せが感じられる場面が
いくつも用意されているのです。
本作品の味わいどころ③
すべて善人、優しさに満ちた登場人物
その幸せは、すべて登場人物によって
もたらされています。
登場人物すべてが善人であり、
優しさに満ちているのです。
血がつながっていないにもかかわらず
優子の保護者となる
梨花・泉ヶ原・森宮はもちろんのこと、
アパートの大家さん、
食堂店主・山本など、
優子の周囲は
温かさに溢れているのです。
一人一人の「温かさ」については、
ここでは説明しません。
ぜひ読んで確かめてください
(すでに読んだ方が多いのでしょうが)。
さて、「それは小説だからだろう」という
冷めた意見が聞こえてきそうです。
確かに、何の血のつながりもない
女子高生を娘として七年間養育した
森宮(優子とはわずか二十歳しか
違わない)の存在など、現実的には
あり得ないものかも知れません。
しかし、小説だからこそ、
そうした登場人物たちを
味わうことが可能なのです。
愛情とは親子の血縁関係だけに
宿るものではないこと、
愛情は誰かの日常を
心豊かにするものであること、
愛情はバトンのように
受け渡される性質であること。
本作品を読むと、そうしたことが
静かに心に染みてくるようです。
主人公の不幸な境遇に涙する小説も
大切なのですが、
幸福を主人公と一緒になって
味わう作品はもっと重要だと感じます。
愛情、というよりも
人と人との関係が希薄になってしまった
現代には、
こうした作品が何より必要です。
(2023.11.13)
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