いろいろな愉しみ方のできる、「怪」しい三作品
「百年文庫090 怪」ポプラ社

「喪神 五味康祐」
十七歳の若い侍・哲郎太は
多武峯に隠居している幻雲斎に
仇討ちを挑む。
十四年前の真剣勝負で
父が幻雲斎に
斬られていたからだった。
しかし幻雲斎の剣の腕は、
哲郎太の
敵うところではなかった。
哲郎太は幻雲斎のもとで
修行する…。
百年文庫第90巻のテーマは「怪」。
収められている三作品すべてが
「怪」しいものを素材として
編み上げられています。
五味康祐の「喪神」は、
剣豪・瀬名波幻雲斎の使う
剣術・夢想剣が、何とも「怪」しく、
かつ面白いのです。
自らは決して斬りかからず、
相手が斬りつけてきたときのみ
身体が無意識のうちに反応し、
一撃のもとに斬り捨てるという
無敵かつ必殺の剣なのです。
幼い日に、真剣勝負の末に
父を幻雲斎に斬られた哲郎太は、
成人の後、
幻雲斎に敵討ちを挑むのですが、
軽くあしらわれてしまいます。
八年間、敵である幻雲斎のもとで
修行を重ねた哲郎太は、
ついに夢想剣を習得するのですが…。
格調を高く保ちながらも
スピード感ある文体は、読み手に
爽快感と充足感をもたらします。
臨場感溢れる描写は、
劇画タッチの情景を
読み手の脳裏に描き出します。
結末も「なるほど」と
読み手を唸らせるものであり、
純文学とエンターテインメントを
両立させたような仕上がりです。
「怪」しさよりも面白さの方が
先立ってしまう第一作です。
「兜 岡本綺堂」
わたしはこれから
邦原君の話を紹介したい。
邦原君は東京の
山の手に住んでいて、
大正十二年の震災に
居宅を焼かれたのであるが、
家に伝わっていた古い兜が
不思議に唯ひとつ助かった。
邦原君自身や家族の者が
取出したのではない…。
続く岡本綺堂の「兜」は、
何度も自分の手元に帰ってくる
「怪」しい兜について描かれています。
兜が「都合四度、
邦原家へ現れた」という「怪」しさ、
「痣のある女」が関わっているという
「怪」しさ、
その「女」がいつも二十七八の姿で、
小さな娘を連れ添っているという
「怪」しさ、
しかも破れた番傘をさした姿で
目撃されるという「怪」しさ、
「買い取った古物商が
襲撃される」という「怪」しさ等々、
起きている事柄を追いかけると、
まさしく「怪談」なのですが、
そうとは言い切れない部分も
あるのです。
ホラーというような
「怪」しさではありません。
言うなれば「ほどよい怪談」でしょうか。
あるいは兜にまつわる一連の話を
「怪談」と捉えている「邦原君」なる人物を
揶揄したコメディの可能性もあります。
どちらであれ、本作品もまた
「怪」しいながらも十分に愉しめる
作品となっているのです。
「眉かくしの霊 泉鏡花」
「旦那、旦那、旦那、提灯が、
あれへ、あ、あの、
湯どのの橋から、
……あ、あ、ああ、旦那、
向うから、私が来ます、
私とおなじ男が参ります。
や、並んで、お艶様が。」
境も歯の根をくいしめて、
「しっかりしろ、
可恐しくはない、…。
最後は泉鏡花の「眉かくしの霊」です。
最後を飾るにふさわしい「怪」しさです。
なぜなら幽霊が現れるからです。
それでいながら鏡花作品もまた、
読み手の恐怖心を煽るだけの
ホラー小説とはまったく異なります。
本作品の特徴は、
「執拗なまでの二重構造」です。
本作品を取り上げた記事に
詳しく記しましたが、
その二重構造は、現実と幽界の、
二つの世界の絡み合いを暗示している
ようにも捉えられるのです。
どこまでが現実でどこからが異世界か
まったく不明瞭な世界の「境界」が、
本作品のいたるところに
表現されています。
本作品もまた、
「怪」しさを前面に出しながら、
怪談以上に文学性を強く感じる
作品となっているのです。
さて、
作者三人もまた「怪」人物たちです。
岡本綺堂、泉鏡花は
もちろんのことですが、
注目すべきは五味康祐です。
「喪神」で芥川賞を受賞しながらも、
その後の作品のほぼすべてが
娯楽作品です。
作者もまた作中の幻雲斎のように、
芥川賞を獲ろうと思わず
無心で臨んだら、
意に反して獲ってしまったという
ことのようです。
まさに「怪」人物であり「快」人物です。
冬が近づいている折としては
無粋なのですが、本書を読んで、
まずは身体の内側から
寒々としてみるのはいかがでしょうか。
いろいろな愉しみ方ができる
三作品です。ぜひご賞味ください。
〔五味康祐の本はいかが〕
剣豪を扱った歴史小説が得意分野の
作家です。
オーディオ・クラシック音楽評論でも
著名であり、
「オーディオの神様」とも
呼ばれているのです。
〔岡本綺堂の本はいかが〕
海外の怪談を集めた
「世界怪談名作集」が復刊しています。
いまだに著作が流通している
人気作家です。
こちらはいかがでしょうか。
〔泉鏡花の本はいかが〕
泉鏡花も作品集が何度も編み直されて
出版される作家です。
ちくま文庫の「泉鏡花集成」は
文庫本による
全集に近いシリーズであり、
魅力的なのですが、そのすべてが
絶版中であることが惜しまれます。
泉鏡花集成〈1〉 (ちくま文庫)
泉鏡花集成〈2〉 (ちくま文庫)
泉鏡花集成〈3〉 (ちくま文庫)
泉鏡花集成〈4〉 (ちくま文庫)
泉鏡花集成〈5〉 (ちくま文庫)
泉鏡花集成〈6〉 (ちくま文庫)
泉鏡花集成〈7〉 (ちくま文庫)
泉鏡花集成〈8〉 (ちくま文庫)
泉鏡花集成〈9〉 (ちくま文庫)
泉鏡花集成〈10〉 (ちくま文庫)
〔百年文庫はいかがですか〕
(2023.11.14)

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