私も、「前途有望な少年」であったのだ!
「黒い御飯」(永井龍男)
(「教科書名短篇 家族の時間」)
中公文庫

「黒い御飯」(永井龍男)
(「朝霧・青電車その他」)
講談社文芸文庫

小学校も卒える事が出来ずに、
小さい時から工場通いを
仕続けてきた兄が、
工場の帰りにカバンを
買って来てくれた。
A社の給仕に出ている
二番目の兄がそれへ
名前を書いてくれる。
そうして明治何年かの四月一日、
母はいそいそ…。
明治・大正期は、
夏目漱石のいくつかの小説のように、
高等遊民が描かれた作品がある一方で、
貧困を題材とした作品も
数多く見られます。
長谷川如是閑は
文学者兼ジャーナリストの立場から
貧困を社会問題として
鋭く指摘しました。
黒島伝治は貧困の悲劇を強調し、
社会に訴える作品を書き上げました。
林芙美子は貧困に屈することなく
たくましく生き抜く主人公を
描き続けました。
この永井龍男は、
それらとは異なる作風です。
本作品は
自伝的私小説と言われています。
主人公「私」の家族構成や境遇は、
作者・永井のそれと
まったく同じなのです。
したがって「私」=作者自身と考えて
差し支えないでしょう。
小学校入学を果たした「私」は、
幼いながらに、
貧困から沸き起こる羞恥心を
隠してはいません。
弁当の残りを
「私」に差し出した父親に対して、
「父がけちんぼなのを考えると
悲しくなることもあった」、
縁日で使う小遣い銭が他の子どもよりも
少なかったことに対して、
「自分には一銭しかないということは、
どんなに寂しいことであろう」、
大変幸せな立場なのだから
周囲への感謝を忘れてはいけないという
父親の説話に対して、
「貧乏に生まれついたのを
怨めしく思う」。
文庫本にしてわずか7頁。
そのほとんどが、
こうした幼い頃の貧しさを恥じる
気持ちが綴られているのです。
本作品もまた、
明治・大正期の多くの作品同様、
貧困を社会問題として
指摘しているのかと思い、
読み進めましたが、最後の一文で、
そのすべてが覆されました。
「私も、
「前途有望な少年」であったのだ!」
何が「私」をそのような
晴れやかな気持ちにさせたのか?
小学校に着ていく
「私」の普段着としてあてられた
次兄からのお下がりの古いかすり。
それを母が縫い直し、
父が染め直して新しく仕立てたのです。
染めるために使った釜を
よく洗ったものの、それで炊いた御飯は
薄黒い色がどうしても
残ってしまったのです。
「赤の御飯のかわりだね」。
「私」は決して
感謝を忘れてはいないのです。
貧しい中で精一杯生きている父、母、
そして二人の兄の姿を
正しく認識しているのです。
冒頭ではカバンを買ってくれた長兄、
それに記名してくれた次兄の姿、
そして終末の、
かすりを仕立て直す父母の描写は、
すべて最後の一言に
つながっていたのです。
「私も、
「前途有望な少年」であったのだ!」
何という希望に満ちた言葉、
晴れやかな気持ちにさせる
言葉でしょうか。
さて近年、不登校となる児童生徒が
増加しています。
私の周りにもそうした生徒が
かつて以上に存在しています。
対話して気がつくことがあります。
彼等は
「将来に希望を持っていない」か
もしくは
「将来がまったく見えていない」かの
どちらかなのです。
これだけ豊かな時代に生まれ、
ゲームや情報端末など何不自由なく
与えられているにもかかわらず、
希望を見いだせない。
その状況を解説するキーワードとして
「閉塞感」が用いられ、
その原因を時代や社会に
求めようとする風潮がありますが、
それは子どもたちが自らつくりだした
「閉塞感」に過ぎないのではないかという
気がしてきます。
本作品を読んだあとではなおさらです。
神田の活版屋の子として生れた
永井龍男に満足な学歴はありません。
永井は十九歳のときに
本作品を書き上げ、
それが菊池寛に評価され、
藝春秋社の編集者になったという
経緯があります。
本作品の「私」は、確かに前途有望な
少年だったということでしょう。
味わい深い逸品です。
ぜひご賞味あれ。
〔「教科書名短篇 家族の時間」〕
あとみよそわか 幸田文
うずまき 幸田文
トロッコ 芥川龍之介
尋三の春 木山捷平
黒い御飯 永井龍男
輪唱 梅崎春生
ひばりの子 庄野潤三
子供のいる駅 黒井千次
握手 井上ひさし
小さな手袋 内海隆一郎
ふたつの悲しみ 杉山龍丸
幸福 安岡章太郎
おふくろの筆法 三浦哲郎
私が哀号と呟くとき 五木寛之
字のない葉書 向田邦子
ごはん 向田邦子
〔「朝霧・青電車・他」〕
活版屋の話
出産
黒い御飯
新しい電車
菜の花
麻布
手袋のかたっぽ
往来
胡桃割り
ある夏まで
朝霧
花火
点呼通信
青電車
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〔「教科書名短篇」シリーズ〕
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