「生」と「死」を考えるための、大人の純文学作品
「ピスタチオ」(梨木香歩)ちくま文庫
ライターである棚のもとへ、
アフリカ取材の
仕事が舞い込む。
愛犬の病、前線の通過、
アフリカに生きた友人の死、
棚の周囲に起きた
いくつかのことは、
彼女をアフリカへと導く。
棚は密かに亡くなった片山の
「やり残した仕事」を…。
梨木香歩の長篇作品「ピスタチオ」を
再読しました。
自然という人知を超えた営みの中に、
人間の「生」と「死」が流転している様を、
情感豊かに描き上げた作品です。
前半では日本での老愛犬の突然の病と
その顛末を綴り、
後半ではアフリカ取材旅行での
神秘的な体験を描き、
さらに終末には主人公が創作した童話が
挿入されるなど、
展開は大きく変遷するのですが、
それは穏やかな変化であり、
ドラマティックな要素はありません。
「生」と「死」を考えるための、
大人の純文学作品となっています。
〔主要登場人物・本文〕
棚(山本翠)
…30代後半の女性ライター。
棚はペンネーム。老愛犬と暮らす。
マース
…棚の愛犬。
子宮に腫瘍ができ、手術を受ける。
鐘二
…棚のパートナー。心配性。
大山
…マースのかかりつけの女性獣医。
思慮深い。
登美子
…棚の行きつけの喫茶店のオーナー。
河瀬
…棚の担当の編集者。
棚にアフリカ取材を持ち掛ける。
片山海里
…アフリカの部族を回って
フィールドリサーチを行っている
社会学者。死亡。
鮫島孝
…片山の著書のまえがきを
執筆した人物。死亡。
田崎美智子
…棚が学生時代親しくしていた先輩。
三原
…棚がアフリカで知り合った友人。
HIV感染者。
マティ(マティライ)
…アフリカでのガイド。
チャンバ
…三原の通訳兼助手。
ダンデュバラ
…高名な呪術医。
かつて片山が弟子入りした。
ナカト
…ダンデュバラを訪れた棚が
知り合った女性。片山を知っている。
双子の妹の行方を探している。
ババイレ
…ナカトの双子の妹。
すでに死亡しているらしい。
千野
…アフリカで活動しているNGOの一員。
登美子の夫。
イディリ
…かつて誘拐され、子ども兵となった
過去のある女性。
ババイレと同じ組織にいた。
〔主要登場人物・挿話内〕
ピスタチオ
…捨子だった。鳥検番となる。
遺失物係
…捨子のピスタチオを見つけ、
引き取る。
遺失物係の母
…遺失物係の母親。
ピスタチオを育てる。
パイパー
…ピスタチオの先代鳥検番。
ピスタチオが弟子入りする。
ペンナシ
…遺失物係の母親の友人。
占い師
…ピスタチオが鳥検番になる道を
示唆する。
瞑想師
…ピスタチオの発した
言葉の意味を考える。
本作品の味わいどころ①
スピリチュアル、でも物語の展開は自然
「りかさん」「裏庭」「家守奇譚」などの
初期の梨木作品同様、
本作品にも異世界的な要素が
いくつもちりばめられています。
かといって、主人公・棚が異世界へと
入り込むわけではありません。
日本からアフリカへと渡り、
取材を通して
現地を旅するという展開です。
しかし日本での
愛犬の謎の病から始まり、
アフリカでのいくつかの呪術体験など、
「実際に存在しても
不思議でない」けれども
やはり「神秘的」な世界が
展開していくのです。
梨木の初期作品は、
現実世界と異世界が
はっきり分かれていて、
その境界が明確だったと思います。
しかし本作品はそれが不明瞭であり、
二つは区別できないものであり、
というよりも混在しているものとして
捉えるべきでしょう。
この、「異世界」というよりも
「スピリチュアルな世界」こそ、
本作品の第一の
味わいどころとなっています。
本作品の味わいどころ②
ちらつく死の影、でも描かれるのは生命
アフリカから帰国してからの十一年、
棚と生活をともにしてきた
マースの病は子宮の腫瘍。
そして古書店で久しぶりに見つけた
片山の著書。
しかし彼はすでに死亡していることを
棚は知ることになります。
さらには彼と行動をともにしていた
二名もまた…。
物語前半部には、
幾度も「死の影」がちらつきます。
しかし読み終えると、
描かれているのは「死」ではなく
「生命」であることに気づかされます。
終末場面で
棚一行がたどり着いた先には、
ババイレの遺体に根を下ろして
艶々とした葉を茂らせている
ピスタチオの木立。
「死」は「死」として
独立して存在するのではなく、
一個の「生命」と別の「生命」の
仲立ちをする役割としての
「死」ではないかと思えてくるのです。
この、「死」と一体のものとして描かれる
「生命」の煌めきこそ、本作品の
第二の味わいどころといえるのです。
本作品の味わいどころ➂
いくつもの要素、でも全てが繋がる物語
老愛犬の病、
前線の通過による自身の変化、
友人・片山の死、
まったく関連のなさそうな要素が
「点」としていくつも現れるのですが、
それらはやがて「線」として繋がり、
一つの「面」あるいは「空間」としての
物語世界へと編み上がっていくのです。
時間をおいて再読し、
わかったことがあります。
本作品は、書かれてあることを
吸収して終わるだけの
作品ではないということです。
作者が提示したいくつものピースを、
読み手が自らの想像力を駆使して、
設計図のない中で
一つの形あるものとして
組み立て上げなければならないのです。
そうして立ち現れたものには
読み手の人生経験が反映される以上、
作者の意図したものに
及ばないこともあれば、
異なるものが出来上がることも
あるのでしょう。でも、
それでいいのではないかと考えます。
それもまた読書の愉しみ方の
一つだからです。
この、作者と読み手の知的共同作業を
愉しむことこそ、
本作品を読む上での
最大の味わいどころと考えます。
梨木香歩の作品は、どれもこれもみな
読み応えがあるのですが、
本作品は咀嚼するようにして
読み味わうべき作品です。
今回10年近くの時間をおいて
再読しましたが、
明らかに初読のときとは違った
深い味わいを愉しむことができました。
さらに10年後に再読したとき、
この作品はどのような表情を
見せてくれるのか、今から楽しみです。
〔新年にあたって〕
明けましておめでとうございます。
2014年に
Yahoo!ブログからスタートし、
2018年に自前のサイトに
移行・独立した読書ブログ運営も、
今年でもう10年となります。
これからも
本との出会いを愉しみながら、
人生を愉しんでいきたいと思います。
今年もどうかよろしくお願い致します。
(2024.1.1)
〔関連記事:梨木香歩作品〕
〔梨木香歩の本はいかがですか〕
【今日のさらにお薦め3作品】
【こんな本はいかがですか】