「駅長」(プーシキン)

隠すようにして、鋭い告発文を内包させた逸品

「駅長」(プーシキン/神西清訳)
(「スペードの女王・ベールキン物語」)
 岩波文庫
(「百年文庫037 駅」)ポプラ社

旅の途中で立ち寄った
***駅で知り合った駅長と
その美しい娘に
「私」は心を惹かれる。
数年後、その思い出をたどって
再び駅を訪れた「私」は、
駅長がわずかの間に
老い込んでいることに気づく。
駅長は娘の物語を
静かに語り始める…。

近代ロシア文学の礎を築いた作家・
プーシキンの短篇作品です。
ロシアの作家の作品によく見られる
「運命の悲しさ」を描いた作品ですが、
作者は決して「お涙ちょうだい」的悲劇を
書き上げたわけではありません。

〔主要登場人物〕
「私」

…語り手。***駅を三度訪れる。
シメオン・ヴイリン
…***駅駅長。十四等官という
 当時の最下級の官等を持つ。
ドゥーニャ
…駅長の娘。「私」が最初に
 出会ったときは十四五歳。
ミンスキイ
…***駅に現れた青年将校。
 ドゥーニャを誘拐する。

「私」が***駅を三度訪れた、
その顛末が綴られているのですが、
筋書きの多くは二度目の訪問時での、
駅長の語りに費やされていて、
その部分が本作品の肝となっています。
父子が静かに暮らしている最中に現れ、
急病に陥った(後に仮病であることが
語られる)青年将校ミンスキイは、
看病に当たったドゥーニャを
見染めるのです。
病が癒えた彼は、
ミサに同行させることを口実に
ドゥーニャを連れ出し、
そのまま行方をくらますのです。

そこまで読むと、
「愛した一人娘を略奪された男の悲劇」を
読み手はどうしても感じてしまいます。
そして娘もまた不幸な運命を
たどるような結末を
予想してしまいます。
しかし娘ドゥーニャについては、
決して不幸ではないことが
描かれていきます。

娘とミンスキイの行方を捜し出した
駅長は、そこできれいに着飾った
ドゥーニャの姿を見ます。
ミンスキイも決して
浮ついた男などではなく、
娘が現在幸せであること、
そして将来においても幸福であることを
約束するのです。
ドゥーニャも父親のことを
忘れたわけではなく、その後、
父親のもとを、
三人の子どもたちとともに訪問する
(このときすでに駅長は
亡くなっていた)のです。
ミンスキイと結婚し、
裕福になっただけではなく、
確かに幸福になっていることが
読み取れるのです。

ミンスキイも決して悪人として
描かれているのではありません。
ドゥーニャへの愛は本物であり、
貴族に見られがちな
一時の戯れではないのです。

不幸なのは父親、つまり
駅長だけであることが、
本作品の特徴です。
では、彼の不幸の本質は何か?
「最下層の身分」と
いうことなのでしょう。

ミンスキイが正しい手順を踏んで
ドゥーニャを妻に迎えることを
しなかったのも
身分が違いすぎるからです。
そのようなことをする必要さえ
感じなかったはずです。
父親に対する手続きなどには無関心で、
娘の気持ちを自分に向けさせる
(そのための仮病)ことしか
意識になかったのです。
したがって結婚後に父親を
迎え入れようという考えもなければ、
娘に一目でも会わせようという気も、
娘に便りを書かせようという配慮も、
まったくないのです。

駅長がそうした運命を受け入れたのも
身分が違いすぎるからです。
酒浸りになったのも、
貴族階級の考え方を
まったく理解できず、
不幸に落ちた娘の姿しか
想像できなかったからなのです。

こうして何度も読み返してみると、
作者プーシキンは
父親の「不幸」について、
「娘を略奪されたこと」ではなく、
「身分が最下層にあることを、
駅長自身が卑下していること」に
焦点をあてているのに気づかされます。
したがって本作品は、
冒頭に記したように
「お涙ちょうだい」的悲劇などでは
あり得ず、
当時のロシア社会の不合理さを
鋭く告発することに主題を置いた
作品であるといえるのです。

民衆に支持され、いち早く
国民的詩人となったプーシキンですが、
政治的自由を歌った詩を
創作したことから追放され(1820年)、
三十七歳という若さで
非業な最期を遂げています(1837年)。
本作品は晩年に近い
1830年に書かれたものであり、
穏やかな文体と悲劇を纏った外観に
隠すようにして、
鋭い告発文を内包させています。
味わい深い逸品です。
年末年始の読書にいかがでしょうか。

※なお、本作品の「駅」とは、
 鉄道路線の「駅」ではなく
 馬車の「駅」であり、
 駅長宅が駅そのものであり、
 駅長は窓口係兼苦情処理係の
 ようなものだったようです。

〔「スペードの女王・ベールキン物語」〕
スペードの女王
ベールキン物語
 その一発
 吹雪
 葬儀屋
 駅長
 贋百姓娘

〔「百年文庫037 駅」〕
駅長ファルメライアー ロート
グリーン車の子供 戸板康二
駅長 プーシキン

〔百年文庫はいかがですか〕

〔プーシキンの作品はいかがですか〕
新訳では、光文社古典新訳文庫から
2冊出版されています。

岩波文庫からも数冊出ているのですが、
いくつかは絶版状態です。
「オネーギン」
「スペードの女王・ベールキン物語」
「ボリス・ゴドゥノフ」
「大尉の娘」
「ジプシー 青銅の騎手 他二篇」

「プーシキン詩集」
単行本としては以下の2冊が
現在流通しています。
「大尉の娘」
「青銅の騎士」

(2024.1.2)

Tomáš LhotskýによるPixabayからの画像

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