
そのまま受け入れるのは難しい…、でも
「年金生活者」「古陶器」
(ラム/山内義雄訳)
(「百年文庫038 日」)ポプラ社
…目にみえて、
私は紳士らしくなってゆく。
新聞をとりあげるのは、
オペラの様子を読むためである。
私の仕事は完了した。
私がこの世に生まれてきた
責務の一切は終った。
私に割り当てられた
仕事は果たした。
余生は私の自由である。
「年金生活者」
なるほど、
貧しかったときの方が、
いまよりも幸福でした。
けれども、若くもあったのです。
相当の財産は、
老人にとっては
青春の埋め合わせなのです。
なるほど、
悲しい補いではあります。
これ以上のものは
手に入らないのでは…。
「古陶器」
百年文庫第38巻「日」に収められている、
イギリスの随筆家チャールズ・ラムの
二篇です。
「年金生活者」は、
年老いて仕事を引退してからの
所感を綴ったような、
そして「古陶器」は、
ある程度の財産を築き上げた
老人のつぶやき(大部分が
茶飲み友だちの女性のおしゃべり)を
そのまま記したような、
しみじみと語られるエッセイです。
もしかしたらこの二篇は、
若い方が読んでも、
「ふーん、そうなんだ」「で、それで」で
終わってしまう可能性があります。
逆に、
五十歳を過ぎたあたりの年齢であれば、
共感したり反駁したくなったり、
様々なことを感じてしまうはずです
(ちなみに私は後者です)。
ただし、本作品が発表されたのは
「年金生活者」が1825年、
「古陶器」が1823年です。
国も時代も異なるため、そのまま
受け入れるのは難しいでしょう。
現在58歳で、
退職が見えてきた私にとって、
色々考えさせられるものがありました。
筆者は40年間勤め上げた会社を退職し、
時間が自由に
使えるようになったことについて
戸惑いを見せています。
その一方で、
もう働かなくてもよい状態を
心から満喫しています。
また、裕福さを手に入れたことに
満足を感じているのです。
このあたりは現代の日本の状況とは
まったくかみ合っていません。
退職後の生活を満喫できるのは
一部の富裕層だけであって、
「老後の資金が2000万円たりない」などと
政府から脅されている一般庶民は、
年金だけでは生活できず、
どうやって再就職先を見つけるか、
汲々としているのですから。
私は公務員の定年延長のため、
このまま行けば
64歳まで働く必要があります。
ただし60歳以降は、
給料が大幅に削減され、
若い方と同じ業務を同じレベルで
こなさなければならないため、
続けるかどうか、迷っています。
明らかに筆者は
「年金生活者」というワードを
プラスに捉えて使用していますが、
私たちにとってはどこか影のある
言葉にしか感じられません。
もちろん、
このような読み方は読書において
正しいものではありません。
本作品が書かれた十九世紀初頭の
英国の社会情勢に照らし合わせ、
この二篇がどのような位置づけにあり、
筆者がどのような意図で
こうした文章を綴ったのかを考えた上で
読み味わう必要があるのです。
それは十分にわかってはいるのですが、
こうも現代の状況と乖離していると、
なかなか正しく読み味わうことが
難しくなっているのも事実です。
本作二篇は、
イギリスの随筆の傑作と呼ばれている
「エリア随筆」に
収録されているものです。
そこここにユーモアの漂う、
しみじみとした
味わいのエッセイであることは
間違いありません。
この二篇だけでなく、
他のエッセイを読むことにより、
本作品の本当の味わいが
わかってくるのかも知れません。
(2024.1.9)
〔「エリア随筆」について〕
「エリア随筆」は正続で
全53篇からなるエッセイ集です。
そのすべてを邦訳したものは
国書刊行会から
全4冊で出版されています。
十数篇を収録した「抄」は、
みすず書房と岩波文庫から出ています。
本書の二篇は、
みすず書房刊を定本としています。
〔「百年文庫038 日」〕
華燭の日 尾崎一雄
痩せた雄鶏 尾崎一雄
草のいのちを 高見順
年金生活者 ラム
古陶器 ラム

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