「故障」(デュレンマット)

強い衝撃、そして常習性。中毒覚悟でご賞味を

「故障」(デュレンマット/増本浩子訳)
(「失脚/巫女の死」)
 光文社古典新訳文庫

営業中に車が故障した
トラープスは、
修理工場のある村に
泊まることにする。
屋敷の主人は快く彼の宿泊を
受け入れてくれたが、
その夕食には、
地元の友人たちも集っていた。
彼らはトラープスを含めて
「裁判ゲーム」をするという…。

これまでデュレンマットの本書収録
「トンネル」「失脚」を読みました。
どちらも今まで読んだことのない、
刺激的な面白さに満ちていました。
このような素敵な作家が、
まだまだ世の中にはいたのだと、
感慨深い思いを味わいました。
本作品も、それら二篇に負けず劣らず
衝撃的です。

〔登場人物〕
アルフレード・トラープス

…繊維関係の会社の営業マン。
 営業中に車が故障し、
 修理工場のある村に一泊する。
 被告人役でゲームに参加する。
 四十五歳。
主人
…トラープスが宿泊のために訪れた
 屋敷の主人。元裁判官の老人。
 裁判長役でゲームを主催する。
ツォルン
…主人の友人。元検事。八十六歳。
 検事役でゲームに参加する。
クンマー
…主人の友人。元弁護士。八十二歳。
 弁護士役でゲームに参加する。
ピレ
…主人の友人。夕食に参加、
 ゲームには直接参加しないが
 死刑執行人役。七十七歳。
シモーヌ…家政婦。
ギュガックス
…トラープスがかつて出世のために
 蹴落とした上司。故人
 (トラープスの話の中で名前が登場)。

本作品の味わいどころ①
「予定外」の連続、何かが起きる予感

冒頭部分を読み進めると、
主人公・トラープスの身のまわりには
「予定外」な出来事が連続します。
営業用の車が故障したのは
もちろん予定外。
車を修理に出し、
その村に泊まることにするのですが、
一軒ある宿屋が満室だったのも予定外。
運良く泊めてくれる家を
紹介されるのですが、
夕食をご馳走されるのも予定外
(彼は外で食事をし、
あわよくばアヴァンチュールを
楽しもうと画策していた)。
彼の運命の歯車が少しずつ狂わされ、
何かよからぬ方向に
向かっていることを、
読み手は強く予感してしまう
展開となっているのです。
この「わくわく感」は、
本作品の前菜的な味わいとして
愉しめます。

本作品の味わいどころ②
忍び寄る恐怖、自ら罠に落ちる予感

予定外の積み重ねの末に
彼がたどり着いたのは「裁判ゲーム」。
しかもトラープスの役割は
選択の余地なく「被告人役」。
どう考えても
面白くなさそうなゲームが、
次第に盛り上がっていきます。
豪華なご馳走に舌鼓をうちながら、
和気藹々とトラープスから
「犯罪の告白」を引き出し、
その非道ぶりを指摘していくのです。

もちろん彼は罪など犯していません。
しかもこれは「ゲーム」です。
であるにもかかわらず、
彼に再三「用心して」と
ささやきかける弁護士。
そして彼の行為を糾弾しながらも
「完璧な犯罪」と褒めそやす検事。
それを真に受けて
次第に気持ちが高揚していく主人公。
会話がまったく描かれず、
ゲームをただ傍観しているだけの存在の
死刑執行人。
少しずつ、しかし確実に、
罠にはまり落ちていく感覚が
読み手を襲います。
この「ドキドキ感」こそ、
本作品のメイン・ディッシュとしての
濃厚な味わいをもたらすのです。

本作品の味わいどころ➂
読み手の予感を越えた、衝撃的な結末

「裁判ゲーム」とともに宴も終了し、
コーヒー・タイムで判決が言い渡され、
主客ともども酔い潰れた状態で
寝室へと向かいます。
ここからが本作品の
デザート的味わいを愉しむ部分です。
死刑判決を受けた彼は
いったいどんな罠に
落とされていくのか?
ここまで沈黙を保っていた死刑執行人は
どういう役割を与えられるのか?
不条理な展開を
ついつい先読みしてしまいます。

ところが、彼は「罠」には落ちません。
そもそも彼を囲んだ老人たちは、
「罠」を張っていたのかどうか、
それすら不確かです。
でも、言い換えれば、
彼は「運命の罠」に
落ちたということでしょうか。
予想を遙かに上回る衝撃的な結末です。
では、彼はどうなったのか?
これだけは
ぜひ読んで確かめてください
というしかありません。

一見、「悲劇」のように見えるのですが、
彼は喜びの絶頂の中で
運命を受け入れているのですから
「喜劇」とも見ることができます。
どちらなのか判別できません。
また作者はこれを
単なるエンターテインメントとして
書いたのか、
それとも何かの
「寓話」として書き上げたのか、
それも一読しただけでは
見えてきません。
強いインパクトを持ちながら、
また読みたくなるような常習性も
持ち合わせている、
なんとも厄介な作品であり作家です。
中毒覚悟で、ぜひご賞味ください。

(2024.1.22)

〔「失脚/巫女の死」〕
 はじめに
トンネル
失脚
故障
巫女の死
 解説/年譜/訳者あとがき

〔作者デュレンマットについて〕
フリードリヒ・デュレンマット
(1921-1990)は、
スイス生まれの作家です。
グロテスクな誇張表現を用いて
現代社会の矛盾や行き詰まりを描いた
喜劇的作品によって、
その文学的地位を確立、
劇作家、推理作家、エッセイストとして
戦後に活躍しました
(ドイツ語で作品を書いているため、
本サイトでは「ドイツ語圏の文学」の
カテゴリーに入れています)。
日本では長らく
その名が知られていませんでしたが、
近年出版が相次いでいます。
本書のほか、
ハヤカワ・ミステリ文庫から「約束」が、
鳥影社から戯曲集が全三巻で
刊行されるなど、注目されています。

John KantasによるPixabayからの画像

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