「薤露行」(夏目漱石)

アーサー王の物語、いや、ランスロットの情痴話

「薤露行」(夏目漱石)
(「倫敦塔・幻影の盾」)新潮文庫

百、二百、簇がる騎士は
数をつくして北の方なる
試合へと急げば、
石に古りたる
カメロットの館には、
只王妃ギニヴィアの
長く牽く衣の裾の響のみ残る。
薄紅の一枚をむざとばかりに
肩より投げ懸けて、
白き二の腕さえ明らさまなる…。

本書「倫敦塔・幻影の盾」は、
夏目漱石の文庫本の中でも
読みにくいものなのですが、
本作品「薤露行(かいろこう)」は、
「幻影の盾」とともに、
特に読み解きにくい作品です。
「幻影の盾」にも記しましたが、
格調高すぎる文体、
古い時代の英国が舞台、
そして現実に織り交ぜられる
伝説と幻想、
いろいろな資料を参考にしなければ、
いったい何を書いているのかさえ
判然としない作品です
(私の読解力がないだけなのですが)。

〔主要登場人物〕
アーサー王

…5世紀後半から6世紀初めの、
 カメロット国の国王。
ギニヴィア
…アーサー王の王妃。
ランスロット
…アーサー王配下の円卓の騎士の一員。
 ギニヴィアと不倫に陥る。
 そのため戦に遅参する。
シャロットの女
…ランスロットのことを想う女。
 恐らくはランスロットの情婦の
 一人と思われる。
マーリン
…魔術師。シャロットの女の覗き見る
 鏡に呪いをかけた。
エレーン
…アストラッド城城主の娘。
 ランスロットに一目惚れする。
ラヴェン
…アストラッド城城主の次男。
 エレーンの兄。
モードレッド
…円卓の騎士の一人。
 ギニヴィアの密通を糾弾する。
アグラヴェン
…円卓の騎士の一人。

アーサー王の物語、というよりは
円卓の騎士の一人・ランスロットの
情痴話です。
全体は五つの章に分かれ、
「一 夢」「二 鏡」「三 袖」「四 罪」「五 舟」と
なっています。
アーサー王の軍は北へ戦に出るが、
ランスロットは城に残って
王妃・ギニヴィアとの逢瀬を楽しむ。
ギニヴィアが不吉な夢を見たことから、
ランスロットは戦へと渋々出掛ける。
(「一 夢」)
シャロットの女が魔法のかかった鏡で
ランスロットを覗き見る。
鏡は砕け、女は倒れ、
ランスロットに呪いをかける。
(「二 鏡」)
ランスロットはアストラッド城に
一夜の宿を申し出る。
城の娘・エレーンが
ランスロットに一目惚れする。
ランスロットは戦いに遅参する。
(「三 袖」)
戦が終わり、騎士たちは帰参するが、
ランスロットは行方不明。
ギニヴィアと語らうアーサー王の下へ
モードレッド以下十二名の騎士が
押しかけ、不義密通を告発。
(「四 罪」)
戻らぬランスロットに
失意したエレーンは死を選ぶ。
エレーンの遺体を乗せた小舟は、
カメロット城に流れ着く。
(「五 舟」)
以上が、ざっくりとした筋書きです。

書かれてあることを
そのまま受け止めると、
ランスロットの情事の相手は
ギニヴィア、シャロットの女、
エレーンの三人です。
ギニヴィアは夫の前で不義を暴かれ
(ただし夫・アーサー王がどのように
罰したか、または罰しなかったかまでは
書かれていない)、
シャロットの女は倒れ
(おそらく死亡したものと考えられる)、
エレーンは自ら絶食死するという、
女性の悲劇を描いたものと考えるのが
自然なのでしょう。

しかし、
夫のあるギニヴィアはともかく、
非のない女性二人が
命を失ったにもかかわらず、
三人を弄んだランスロットについては、
姿が見えなくなっただけで、
意図的に行方をくらましたのか、
戦傷がもとで死亡したのか、
シャロットの女の呪いによって
命を落としたのか、
詳細がまったく分かりません。
彼にこそもっと重い運命が
下されてもいいようなものなのですが、
何か理不尽なものを感じてしまいます。

シャロットの女は本作品で直接
ランスロットと関わっていません。
そして「二 鏡」が書かれてある意味も
よく分かりません。
ランスロットに呪いをかけたことを
記したいのであれば、
彼の過酷な運命が描かれないのは
不自然であり、そうでなければ
なくても差し支えなさそうなのです。

そもそも作者・漱石は、
このランスロットの情痴話で
いったい何を読み手に
伝えようとしていたのか?
まったく分かりません。

円卓の騎士のメンバーを調べてみると、
トリスタン卿や
パーシヴァル(パルジファル)卿など、
ワーグナーのオペラで
おなじみの名前が見つかります。
そういえばワーグナーのオペラも、
伝説の騎士や天上の神々の壮大な
情痴話を描いたものがほとんどです。
もしかしたら漱石も、
「こころ」「それから」のように
自身の心にわだかまる重い課題を
吐き出すために書いたのではなく、
単なるエンターテインメントとして
アーサー王物語に素材を得て
創作したのではないかとも
考えられます。

まあ、分からなければ
何度でも読めばいいのです。
何年かおきに再読していくと、また
違ったものが見えてくるのではないかと
思っています。
こうした本が手元に一冊あると、
世界が違って見えます。
ぜひ貴方の部屋にも。

(2024.1.29)

〔青空文庫〕
「薤露行」(夏目漱石)

〔「倫敦塔・幻影の盾」〕
倫敦塔
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幻影の盾
琴のそら音
一夜
薤露行
趣味の遺伝

「倫敦塔・幻影の盾」新潮文庫

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