「白い人」「黄色い人」(遠藤周作)

遠藤周作の文学的原点ともいえる二作品

「白い人」「黄色い人」(遠藤周作)
(「白い人・黄色い人」)新潮文庫

母親から禁欲的な生活を
強いられてきた「私」は、
十二歳の頃、女中が老犬を
虐待する光景に魅せられる。
ナチによる占領下のリヨンで、
成人した「私」は
秘密警察の手先となる。
内に眠らせていた嗜虐的衝動は、
友人・ジャックに向かう…。
「白い人」

医学生であり
キリスト教徒である「私」は、
許嫁を持つ糸子を犯し、
その後も弄び続ける。一方、
日本人女性と姦淫の罪に堕ちた
司祭・デュランは、
拳銃不法所持の罪を
同僚で援助者のブロウに
なすりつける。
それを知った「私」は憲兵に…。
「黄色い人」

遠藤周作
文学的原点ともいえる二作品です。
「白い人」は昭和30年5月、
「黄色い人」は同年11月と、
創作の初期の同時期に書かれていて、
対になる作品となっています。
例によってキリスト教が
主題に深く関わっているのですが、
これも例によって
それがどう関わり何を表しているのか、
キリスト教徒ではない私には、
理解が難しい作品でした。

〔主要登場人物〕
「白い人」
「私」
…語り手。法科大学生。
 母親によって禁欲的な生活を
 強いられたが、
 少年時代の経験がもとで、
 嗜虐的性格を隠し持って生きている。
 容貌が醜く、斜視であることが
 負い目になっている。
イボンヌ
…少年時代の「私」の家の女中。
 他人の老犬を虐待しているところを
 「私」は目撃する。
ジャック
…神学生。一度は「私」を軽蔑するが、
 その後、接近してくる。
マリー・テレーズ
…法科大学生。両親を早くに亡くし、
 従兄ジャックの両親の世話になる。
 そのためジャックの意向を
 無視できない。
モニック
…マリーの同級生。
中尉
…ゲシュタポの軍人。
アレクサンドル・ルーヴィッヒ
…中尉配下のゲシュタポの一員。
アンドレ・キャバンヌ
…中尉配下のゲシュタポの一員。
「黄色い人」
「私」(千葉)
…語り手。クリスチャン。医学部学生。
糸子
…「私」の従妹。出征した婚約者が
 ありながら、「私」と情交を重ねる。
デュラン
…司祭だったが、保護した日本人女性
 キミコと姦通し、職を解かれる。
キミコ
…デュランと生活している日本人女性。
ブロウ
…神父。デュランの親友であり、
 経済的な援助を行っていた。
 「私」の密告により警察に逮捕される。

キリスト教が主題に
深く関わっているとはいえ、本二作品は
「キリスト教の素晴らしさ」を
説くような内容ではありません。
むしろ
「棄教したキリスト教徒の弱さ」
「キリスト教徒であっても堕落した人間」
を描いているようにも感じます。

「白い人」の「私」は、
クリスチャンでありながらも
嗜虐的性格の持ち主であり、
あろうことかゲシュタポの手先となり、
友人であったジャックに拷問を加え、
喜びに浸ります。
「黄色い人」の「私」は、
許嫁のある従妹を犯して弄び、
その許嫁が一日だけ帰宅を許された
クリスマスのその日にも
従妹と情事を重ねるのです。
もう一人の主要登場人物である、
破門となった神父・デュランは、
親友であり同僚であり援助者である
ブロウに自らの罪をなすりつけます。
キリスト教徒たちの罪深き行為から、
読み手はいったい何を
学び取ればいいのか?
その後に書かれた名作「沈黙」であれば、
「神はなぜ何もしないのか」が
重要なポイントになるのでしょうが、
本作品はそうではなさそうです。

「白」のジャックの自死、
そして「黄」の
デュランの(空襲による)死をあえて
「自殺」と見立てた「私」の思考、
キリスト教で禁じられている「自殺」が、
両作品の終末で用いられていることが
何を意味しているのか?
同様に、「白」の「私」のマリーへの、
そして「黄」の「私」の糸子への陵辱、
禁じられた「姦淫」にあたるそれらは
いったい何を提示しているのか?
そして、
こうした教徒の悪徳を描くことで
何を問題提起しているのか?
キリスト教についての理解がなければ
読み解くことが難しいのではないかと
感じられます。

分からないことだらけなのですが、
それでいて読み手の心を強く揺さぶる
衝撃度を持っていることは確かです。
後味の悪い読後感と相まって、
本作品は心に棘のように刺さって
抜けなくなるような感触があります。

独特の作風の遠藤文学。
分からないなりに
深い味わいのある作品なのです。
読み手の心に刺さった棘は、
時間の経過とともに
「痛み」ではない何かを
もたらしてくれるはずです。
それもまた読書の楽しみの一つです。

〔雑感追記〕
キリスト教を含め、私は宗教に
意義を見いだせないでいます。
ウクライナへの侵略を「祝福」する
ロシア正教会、
アメリカ・キリスト教信者によって
支持されるイスラエルのガザ侵攻など、
本作品に書かれた「私」の思考や行為と
似ているものがあるような気がします。
日本に根付いている仏教も、
基本的には死者のための
ビジネス・モデルとなっていて、
生きている人間のためには
なっていません(と感じます)。
かつてのオーム真理教や旧統一教会など
何をか言わんやです。
宗教は人間を本当に救っているのか?
宗教がらみの
悲しいニュースが舞い込む度、
ついつい考えてしまいます。

(2024.2.19)

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