昔語りと「わたし」の現実が、幻想的に重なり合う
「みかげ石」
(シュティフター/藤村宏訳)
(「百年文庫043 家」)ポプラ社
ある春のことだった。
ひどい病気が突然、
わしらのところにも
やって来たのだ。
そしてこのあたり一帯に
すっかり広がった。
道の上にまだ残っている
散った白い花の上を、
死人が運ばれていった。
この疫病は
ペストという名前だった…。
オーストリアの作家・シュティフターの
短篇作品です。
物語の中盤で登場する一節を
抜粋してみました。
ペストという恐ろしい病気が
記されているのですが、
パンデミックを扱った
作品ではありません。
「おじいさん」の昔語りに現れるだけで、
作品自体は終始穏やかで、
筋書きというほどのものはないのです。
磨き上げた床を
油のついた足で汚したことから
「わたし」が折檻を受け、
それを慰めるために
「おじいさん」が「わたし」を連れて
散策に出て昔語りをする。
ただそれだけなのです。
では、本作品では何を味わうべきか?
〔主要登場人物〕
「わたし」
…語り手。
油のついた足で家に上がり、
母親から折檻を受ける。
「おじいさん」
…「わたし」の祖父。
「わたし」の足の油を洗い流し、
「ピッチ焼き」の話を聞かせる。
「母」
…「わたし」の母親。
油のついた足で家を汚した「わたし」を
折檻する。
アンドレアス
…ピッチ油売り。
「わたし」の足に油を塗る悪戯をする。
「男の子」
…「おじいさん」の話の中の、
ペストから逃れた男の子。
「女の子」
…「おじいさん」の話の中の、
「男の子」に命を救われた女の子。
一つは全篇を貫く美しい自然描写です。
母親から折檻された「わたし」を
慰めるために、
「おじいさん」は「わたし」を連れて
遠くの丘まで散策をするのですが、
その途中途中に、
オーストリアの山あいや
森林の豊かな自然の美しさが
言葉によって綴られていきます。
画家志望だったシュティフターらしい、
細やかな描写が印象的です。
この散策をしながら、
「おじいさん」は「ピッチ焼きの話」、
つまりペストから生還した
男の子・女の子の話を語るのです。
ペストが村を襲い、
ピッチ焼きの一家は人里離れた
森の奥地へと逃げ込む。
しかし父母はペストで命を落とし、
男の子一人が生き延びる。
男の子は瀕死の女の子を見つけ、
介抱し、命を救う。
その女の子もまた同じ境遇だった。
健康を取り戻した女の子とともに、
男の子は川沿いに人里へ降り、
人々に救われた。
そうした昔話が、
「おじいさん」の口から語られるのです。
味わいどころのもう一つは、
その昔語りと「わたし」の現実が、
幻想的に重なり合っている
構成の妙でしょう。
ピッチ焼きの一家がたどった道のりと
同じように、「おじいさん」と「わたし」の
二人はたどっていくのです。
かつて村を席巻したペストも、
「わたし」が予想外に受けた折檻も、
ともに「突然襲った不幸」なのです。
「なぜペストの話が?」と
訝しむ方が多いと思われますが、
「おじいさん」が伝えたかったのは
ペストの脅威ではなく、
そこから生還した男の子と女の子が、
数年の後に結ばれ、
豊かに暮らしたという
幸福の部分なのです。
予想だにしない母の折檻に心を痛めた
「わたし」の心は、家に帰る頃には
すっかり晴れ渡っているのです。
昔語りを始める前の
「おじいさん」の口上が素敵です。
「神さまがお作りになった
この世の中では、人間どもが
どんな不思議な目にあうものか、
この話をきけば
わかることじゃろう」。
さて、本作品「みかげ石」は、作品集
「石さまざま」に収められた一篇です。
他に「石灰石」「電気石」「水晶」「白雲母」
「石乳」が収められているのですが、
それらは本作品同様に、
緻密な描写によって
故郷オーストリアの自然への深い畏敬が
綴られるとともに、
穏やかな筆致で人間らしい生き方への
言及がなされています。
作品の多くが絶版状態なのですが、
この百年文庫第43巻「家」で、
本作品をじっくり
味わっていただきたいと思います。
(2024.2.27)
〔シュティフターの作品について〕
現在流通しているのは以下のものです。
絶版扱いですが、古書をあたれば
以下のものも入手可能です。
「みかげ石 他二篇」(岩波文庫)
「森の小道・二人の姉妹」(岩波文庫)
「晩夏(上)」(ちくま文庫)
「晩夏(下)」(ちくま文庫)
「作品集第3巻 森ゆく人」(松籟社)
〔「百年文庫043 家」〕
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