それにしても菊池寛の脚色は見事です
「俊寛」(菊池寛)
(「百年文庫048 波」)ポプラ社
「俊寛」(菊池寛)
(「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」)
新潮文庫
それは、彼が
鹿ヶ谷の山荘で飲んだ
如何なる美酒にも勝って居た。
彼がその清冽な水を
味って居る間は、
清盛に対する怨みも、
島に、
ただ一人残された悲しみも、
忘れ果てたように
清々しい気持だった。
彼は、蘇ったような気持ちに…。
菊池寛の「俊寛」の一節を
抜き書きしてみました。
平家物語で伝えられる
俊寛の悲惨な物語を、
菊池寛が得意の人情話的脚色を加え、
幸福物語へと大きく転換させた
筋書きとなっています。
俊寛らが流された鬼界ヶ島の所在が、
鹿児島県大島郡喜界町の喜界島、
鹿児島県鹿児島郡三島村の硫黄島、
長崎県長崎市の伊王島など、
諸説存在し、確定していないことや、
俊寛自身がひそかに
島を脱出したという説
(鹿児島県阿久根市・出水市・
佐賀県佐賀市などに俊寛に関する
言い伝えが残っている)が
あることなどから、
もともとノベライズできる余地が
大きかったのでしょうが、
それにしても菊池寛の脚色は見事です。
〔主要登場人物〕
俊寛
…鹿ヶ谷での密議が露見し、
鬼界ヶ島(薩摩)へ配流された僧。
ともに流された成経と康頼は
後に赦免されるが、
首謀者と目された彼は島に残される。
成経・康頼
…藤原成経と平康頼。
鬼界ヶ島に流された後、
千本の卒塔婆を海に流し、
これがもとで赦免となる。
俊寛はこれに加わらなかった。
丹左衛門尉基康
…清盛からの赦免の使者。
「少女」
…鬼界ヶ島の土着民の少女。
俊寛の妻となる。
有王
…俊寛の侍童だった。平家滅亡後、
俊寛の消息を尋ね鬼界ヶ島を訪れる。
本作品の味わいどころ①
精神の転換点の緊張感迸る描写
粗筋代わりに冒頭に掲げた一節が、
俊寛の精神が陰から陽へと転換する、
その頂点の部分です。
他の二人との考え方の隔たりと
そこから生じる寂寥の思いを
丹念に描くことから
「陰」の部分の描写が始まります。
そして赦免されなかった衝撃について、
長々とした赦免船の出向までの様子や、
その間の俊寛の慟哭を
丁寧に綴ることによって、
徹底的に描ききっています。
だからこそ、その精神の転換点が
明確に示されることになるのです。
この描写の見事さこそ、
菊池寛の持ち味であり、
本作品の一つめの
味わいどころとなっているのです。
本作品の味わいどころ②
生き抜く姿の生命感溢れる描写
物語後半は、
孤島で力強く生き抜こうとする
俊寛の姿が
ドラマティックに描かれます。まるで
日本版ロビンソン・クルーソーとでも
いうべきサバイバル生活が描かれます。
手持ちの道具は
小振りの鉞と二本の小太刀のみ。
それらを駆使して木を切り住居を造る、
道具を拵え
狩りや漁りによって食を得る、
荒れ地を開墾して農耕をはじめる等々、
人間の根源的な生きる喜びが、
次から次へと描出されていきます。
このエンターテインメントこそ、
菊池寛の得意技であり、
本作品の次なる
味わいどころとなっているのです。
本作品の味わいどころ③
解脱した心身の爽快感漲る描写
筋書きの最後を飾るのは、
かつての弟子・有王との再会です。
幾度となく帰京を勧める
有王の願いをまったく顧みることなく、
俊寛は島での生活を選択するのです。
「都に帰ったら、俊寛は
治承三年に島で果てたという風聞を
決して打ち消さないようにしてくれ。
島に生き永らえているようなことを、
決していわないようにしてくれ。
松の前が、鶴の前が
生き永らえていたらまた
思うようもあるが、
今はただひたぶるに、
俊寛を死んだものと世の人に
思わすようにしてくれ」。
すでに迷いなく
過去を断ち切っているのです。
そのあとに続く描写が秀逸です。
「そんな意味をいった。
その大和言葉が、
かなり訛が激しいので、
有王は言葉通りには
覚えていられなかった」。
もはや有王の眼には
俊寛の姿が浅ましいものに見え、
俊寛の耳には有王の言葉が
別世界の言語のように聞こえる。
俊寛がまったく別人として
生まれ変わったことが
記されているのです。
まさに「解脱」とはこのような精神の
状態を指すのでしょう。
この文学的な表現描写こそ、
菊池寛の独壇場であり、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
平家物語では、
有王が携えた娘の手紙に絶望し、
絶食して死んでしまった俊寛ですが、
菊地はそこに新たに生命を吹き込み、
若く雄々しい人間として
俊寛像を再構築したのです。
菊池寛の文学的手腕の最も発揮された
作品だと私は感じています。
ぜひご賞味ください。
(2024.3.19)
〔青空文庫〕
「俊寛」(菊池寛)
〔「百年文庫048 波」〕
俊寛 菊池寛
劉廣福 八木義徳
燈台守 シェンキェヴィチ
〔「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」〕
恩を返す話
忠直卿行状記
恩讐の彼方に
藤十郎の恋
ある恋の話
極楽
形
蘭学事始
入れ札
俊寛
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