会話によるバトル、恐ろしい小説です。
「ローマ熱」
(ウォートン/大津栄一郎訳)
(「20世紀アメリカ短篇選(上)」)
岩波文庫
「ローマ熱」
(ウォートン/大津栄一郎訳)
(「百年文庫050 都」)ポプラ社
高い崖の上につき出た
ローマのレストランのテラスで
昼食をとっていた、
年だがきれいに化粧した
ふたりの中年のアメリカ女性が、
テーブルから立って
歩いて行って、
手すりにもたれて
まず互いに顔を見あわせ、
それから目の前に…。
冒頭の一文を抜粋しました。
本作品の登場人物は
ほぼこの二人なのですが、
大きな展開の変化はありません。
ただ二人が会話しているだけなのです。
それでいて、その一方の発する言葉は
次第に刃のような鋭さを持ち、
相手を攻撃していくのです。
言葉による他者への執拗な攻撃。
それが本作品の本質であり、
そのまま味わいどころとなっています。
アメリカの女性作家・ウォートンの
「ローマ熱」。
恐ろしい小説です。
〔主要登場人物〕
グレイス・アンズレー
…中年のアメリカ女性の一人。
虚弱体質であり、若い頃にローマを
訪れたとき、重病に罹っている。
アライダ・スレイド
…中年のアメリカ女性の他方。
デルフィン・スレイド
…アライダの夫。成功した弁護士。
故人。結婚前、グレイスからも
想われていた。
ジェニー・スレイド
…アライダの娘。優等生的な性格。
バーバラ・アンズレー
…グレイスの娘。華々しい性格。
ホーレス・アンズレー
…グレイスの夫。故人。
本作品の味わいどころ①
攻撃の動機~過去と立場を変えた娘二人
いい年をした旧友二人の間柄です。
なぜアライダはグレイスを
攻撃しなければならなかったか?
お互いの娘たちが、過去の自分たちと
立場を変えた二人だったからです。
グレイスの娘・バーバラは
社交的で華やかな性格。
青年飛行家に
積極的にアプローチしています。
それに対してアライダの娘・ジェニーは
しっかり者なのですが、
華やかさには欠けます。
二人が一緒に出掛けると、
ジェニーはバーバラの
引き立て役にしかならないのです。
アライダはジェニーに
物足りなさを感じるとともに、
バーバラが羨ましく、
それが不満となっているのです。
そしてそれはかつての自分とグレイスの
立場をまったく逆にしたものであるから
なおさらです。
夫の死後、周囲から
ちやほやされることの
ほとんどなくなったアライダの心には、
グレイスに対する敵愾心が
芽生えてくるのです。
それは直接表現によって
記されているのではなく、
アライダの漏らす愚痴の端々から
推察できるしくみになっているのです。
そうした「攻撃の動機」が
描かれている場面こそ、本作品の
第一の味わいどころといえるのです。
本作品の味わいどころ②
攻撃の具体~掘り出さなくてもいい過去
その攻撃の手段は、
掘り出さなくてもいい過去を、
グレイスの前に提示することでした。
それはかつて二人が
ローマを訪れたときのこと。
デルフィンと婚約中のアライダは、
グレイスもまた彼に
想いを寄せていることに不安を感じ、
彼女を夜のコロッセオに誘い出し、
虚弱体質の彼女が
待ちぼうけで冷気に晒されることにより
身体を壊すことを目論んでいたのです。
アライダはデルフィンからの手紙が
実は自分が書いた
贋物であることを暴露、
精神的優位に立つことにより、
溜飲を下げるのです。
もちろん具体的な攻撃が描かれるまでに
アライダの口からは
「グレイスがかつてローマで
重病に罹ったこと」
「妹を死なせた大叔母の話」など、
いくつかのジャブが繰り出されます。
デルフィン名義の偽手紙の暴露は、
その後に放たれた
ストレート・パンチなのです。
そうした「攻撃の具体」が
描かれている場面こそ、本作品の
第二の味わいどころとなるのです。
本作品の味わいどころ③
攻撃の失敗~逆襲のメガトン級爆弾二発
それで終われば、単なる
「嫌なおばさんの物語」で
終わってしまいます。
最後に描かれるのは「逆襲」です。
アライダからの攻撃を受けたグレイスが
逆転の切り札として放ったのは
「でも私は待ちはしなかったわ」
「私はバーバラを手に入れたわ」の
二つの爆弾です。
その二つ(特に後者)が、
アライダの傲慢な心を
木っ端微塵に粉砕してしまいます。
慎ましやかに生きてきたグレイスの、
もの静かな逆襲。
その二つの言葉が意味するものは、
ぜひ読んで確かめてください。
このように「攻撃の失敗」が
描かれている最終場面こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
息詰まるような戦いは、
何も男の肉体や現実の武器を
使ったものばかりではないのです。
この女どうしの攻撃、いや口撃
(一方的にアライダが攻め、
最後にグレイスが
ひっくり返しているのですが)は、
それ以上にスリリングで刺激的です。
しかも文学としての
味わい深さを持っている傑作短篇です。
ぜひご賞味ください。
(2024.7.2)
〔本作品の新訳について〕
このようなスリリングで
味わい深い作品が、
「20世紀アメリカ短篇選(上)」
「百年文庫050 都」(大津栄一郎訳)に
収録されただけで
埋もれかかっていました。ところが
「アメリカ短編ベスト10」
(2016年・平石貴樹訳)、
「S.モームが薦めた米国短篇」
(2017年・小牟田康彦訳)と、
新訳が二つ登場しています。
〔ウォートンの作品について〕
2022年、2023年、2024年と、
3年連続で新訳が出版されています。
忘れられかけた作家の一人でしたが、
今ウォートンのブームが
静かに訪れています。
〔「20世紀アメリカ短篇選(上)」〕
平安の衣 O.ヘンリー
ローマ熱 ウォートン
ローゴームと娘のテレサ ドライサー
生命の法則 ロンドン
手 アンダスン
あの子 キャサリン・アン・ポーター
メアリー・フレンチ ドス・パソス
パット・ホビーとオーソン・ウエルズ
フィツジェラルド
ある裁判 フォークナー
なにかの終焉 ヘミングウェイ
人を率いる者 スタインベック
スウェーデン人だらけの土地
コールドウェル
スティックマンの笑い オルグレン
〔「20世紀アメリカ短篇選(下)」〕
〔「百年文庫050 都」〕
くすり指 ギッシング
お茶の葉 H.S.ホワイトヘッド
ローマ熱 ウォートン
〔百年文庫はいかがですか〕
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