「AとBの話」(谷崎潤一郎)

いけないいけない、近づきすぎてはいけない。

「AとBの話」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅩ」)中公文庫

AとBと云うのは
二人の青年の名であるが、
同時に又、
この二人が持っていた全く異った
二つの「魂」の名でもある。
だから「AとBの話」は
「二つの魂の歴史」と云っても
差支えない。
全く異った魂を持ちながら、
AとBとは従兄弟同士…。

以前とりあげた「金と銀」が収録された
「潤一郎ラビリンスⅩ」。
その第二作がこの「AとBの話」です。
「金と銀」ときわめてよく似た
プロットながら、
展開は全く正反対です。
「金と銀」では、対比される二人の人間、
道徳家・大川と悪徳家・青野が、
次第に収斂していくかのような
構成でしたが、本作品は
善の作家・Aと悪の作家・Bが激突し、
一生を賭けた勝負をしていくのです。
味わいどころはやはり、
AとBの「二人」です。

〔登場人物〕

…「善」の魂を持つ男。
 作家となり、大成する。

…「悪」の魂を持つ男。
 作家となり、一時期名声を博すが、
 次第に忘れ去られる。Aの家から
 瑞西製の時計を盗んだ罪で服役する。
S子
…Aの妻。
 夫であるAを心の底から信じている。
「母」
…Aの母。Bの伯母。
 BをAと同じように愛している。

本作品の味わいどころ①
AとB、基本的には同じ二人

「金と銀」の大川と青野は、
まったく正反対の二人でした。
ところがこのAとBは
基本的には同じなのです。
なぜなら二人は従兄弟どうし。
その後に開花した文学的才能を見ても、
かなり近い遺伝子を持って生まれたと
考えられます。
二人は取り替え可能なのです。
だからでしょうか、
具体名は与えられずに「A」「B」という
記号を付されただけなのです。
基本的には同じである二人が、その後、
どのように変化していくのか、
それこそが本作品の
第一の味わいどころなのです。

本作品の味わいどころ②
善と悪、次第に異化する二人

「金と銀」の大川と青野は、
まったく正反対の二人であったのが、
次第に同化してきました。
ところがこのAとBは、
基本的に同じ性質の二人だったものが、
次第に異化し、まったく両極端の
考え方の人間へと深化します。
Aは「善」の作家へ、Bは「悪」の作家へと
その才能を開花させていくのです。

それがまた両極端過ぎるのです。
Aの善人ぶりは、
まるでイエス・キリストそのものです。
Bの犯した悪事を、すべて
「自分のせいである」と
心の底から信じ込み、
Bを救うために
すべてを投げ打つのです。
Bの悪人ぶりもまた、
普通の人間であれば
考えられないことばかりです。
出所後のBがAに持ち掛けた無理難題。
それこそがAとBの性格を
端的に表しています。
この光と影のように異化し、分離した
AとB、それぞれの思想こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなっているのです。

本作品の味わいどころ③
光と影、谷崎の分身である二人

「金と銀」の大川と青野は、
それぞれが実は
谷崎の分身のような存在でしたが、
このAとBもまた、
谷崎の分身の一つの形であることに
間違いはありません。
Bの悪徳は、他作品にも見られる
谷崎特有の考え方であり、
Bこそが谷崎の分身のように
思えるのですが、Aもまた然りです。
Aはすべてを犠牲にして
己の文学を純粋なものまで高め、
完成させます。
その姿は谷崎そのものと
いっていいはずです。
いわば、谷崎の光の部分と影の部分、
その二つの分身がAとBであると
考えるべきでしょう。
AとBの姿から、谷崎自身を感じ取る。
それこそが本作品の
最大の味わいどころといえるのです。

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「金と銀」でも書きましたが、
いろいろな角度から自身を切り刻み、
その断面をこれ見よがしに
提示した作家は、
谷崎よりほかに見当たりません。
だからこそ、その作品を読む度に、
作者・谷崎に近づいていくような
気がするのです。
いけないいけない、
近づきすぎてはいけない。
谷崎に近づきすぎると、
自分も光と影に別れそうな…。
あっ、光の部分はないかも…。

(2024.7.11)

〔「潤一郎ラビリンスⅩ 分身物語」〕
金と銀
AとBの話
友田と松永の話

「潤一郎ラビリンスⅩ」中公文庫

〔関連記事:谷崎潤一郎の作品〕

〔中公文庫「潤一郎ラビリンス」〕

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