
娯楽的要素の背後にある「日本人とは何か」
「感傷の靴」(谷譲次)
(「テキサス無宿/キキ」)みすず書房
(「百年文庫053 街」)ポプラ社
ああ、ヘンリイも日本人、
俺も日本人
――遠く故国を離れて
二十有余年、ふわふわと
その日を送っているように
見えても、
俺たちは矢張り日本人なのだ、
日本男子だ。サムライと
私は口の中で言ってみた。
嬉し涙がほろほろ溢れた…。
日常生活において、
「日本人であること」を意識する瞬間は
ほとんどなくなっているのではないかと
感じます。
インバウンドでこれだけ
外国人が押し寄せてきても、
私たち自身の生活自体が
日本的ではなくなりつつあるのですから
当然です。
「俺も日本人」そう呟いて
涙を流しているこの物語は、1925年。
大正末期の作品なのです。
〔登場人物〕
「私」(ジョウジ・タニイ)
…語り手。倶楽部の給仕人をして
小金を稼いでいる。
ヘンリイ河田
…「私」の友人。日本人。W大学卒業生。
二十年前に渡米。
従軍し、欧州戦争に参加。
本作品の味わいどころ①
「私」のユーモア溢れる生き方
どう読み込んでも、
この「私」はアメリカン・ドリームを
夢見ているようには見えません。
給仕として、倶楽部に集まる
成金たちにこびへつらい、
幾ばくかの金を受け取る、
それを倶楽部の外で気前よく使い、
貴族の気分を味わう。
蓄財している様子はありません。
現代の尺度からすると
「浪費家」ということに
なるのでしょうが、
つまりは「江戸っ子」なのです。
表題に使われている「靴」は、
高価な代物であることが明かされます。
特段必要としていないその「靴」を、
「私」はどういう経緯で手に入れたか?
そこにはユーモア溢れる
「私」の生き方が描かれています。
それが本作品の
第一の味わいどころであり、
ぜひ読んで
確かめていただきたいと思います。
本作品の味わいどころ②
ヘンリイのあっぱれな心意気
本作品の筋書きは、
友人ヘンリイが「私」のその高価な靴を
借りにきたことから始まります。
有無を言わさず借りようとする
厚かましい態度は、
谷崎潤一郎の作品に登場する
性根の悪い人物(そのほとんどが
谷崎自身)のそれに似ています。
しかし、彼が「私」の高価な靴を
必要とした理由は…。
それが本作品の第二の
味わいどころであり、
ここもぜひ読んで
確かめていただきたいと思います。
本作品の味わいどころ③
感動を呼ぶ日本人としての心
そして最後は
予想外の感動場面が待ち構えています。
それが冒頭で取り上げた一節に
繋がっているのです。
大戦終了の記念日のパレードに、
威風堂々とした姿で現れたヘンリイに、
靴を貸した「私」は感極まるのです。
そして自らが「日本人」であることを
再発見するのです。
それが本作品の
第三の味わいどころであり、十分に
堪能していただきたいと思います。
本作品の「私」同様、
作者自身も二十歳で渡米し、
以後放浪生活を続けます。
1924年の帰国後、
作者はその体験をもとに
いくつもの作品を書き上げるのですが、
本作品もその一つです。
渡米体験記としての娯楽的要素が
前面に押し出されているのですが、
その背後には「日本人とは何か」という
鋭い視点が隠されています。
実はそれこそが本作品の最大の
味わいどころとなっているのであり、
咀嚼するようにして
味わうべき作品なのです。
何か面白い短篇はないかと
探しているあなたにお薦めしたい、
味わい深い逸品です。
ぜひご賞味ください。
(2024.7.16)
〔作者・谷譲次について〕
作者・谷譲次(本名:長谷川海太郎)は、
現在ではほとんどその名を
忘れ去られようとしているのですが、
昭和初期の大流行作家です。
亡くなった1935年の所得は、
当時の文壇で最高額だったという
記録が残っているほどです。
現在はみすず書房の一冊しか
紙媒体では流通していません。
電子書籍では、
次のようなものが出版されています。
「テキサス無宿」
「もだん・でかめろん」
一連の渡米体験記ものは
「谷譲次」名義で書かれたのですが、
それだけではありません。
林不忘名義で
時代小説「丹下座禅」シリーズを、
牧逸馬名義で探偵小説を
次々と発表するなど、
多くの作品を世に出しています。
〔「百年文庫053 街」〕
感傷の靴 谷譲次
チコのはなし 子母澤寛
一夜の宿・恋の傍杖 富士正晴
〔百年文庫はいかがですか〕
〔関連記事:牧逸馬作品〕

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