では、どんな運命が彼女の前に現れるのか?
「幻想を追う女」
(ハーディ/河野一郎訳)
(「呪われた腕」)新潮文庫
この部屋の持ち主は、
私の勝てなかったあの人だった。
エラのために貸別荘の部屋を
空けてくれた男は、
エラが目指していた詩人・
トルーだった。
エラはまだ見ぬトルーに
想いを寄せ、
一度だけでも会うことを望むが、
試みはすべて…。
運命に翻弄される人間の姿を
生々しく描ききることで有名な
イギリスの小説家トマス・ハーディの
短篇作品です。
本作品では夫も子もある女性・エラが、
見えない糸に手繰られ、
命を落としていきます。
原因となったのは熱愛する詩人・
トルーへの想い。
しかし決して不倫に
堕ちるわけではありません。
なぜなら彼女は
彼に会うことは叶わなかったからです。
では、
どんな運命が彼女の前に現れるのか?
それが本作品の
味わいどころとなっています。
〔主要登場人物〕
エラ・マーチミル
…ジョン・アイヴィのペンネームで
詩を書いて投稿している。
同じ雑誌に作品が掲載されたトルーを
崇拝している。三人の子の母親。
ウィリアム・マーチミル
…エラの夫。武器製造会社の社員。
妻に対して寛大。
フーパー夫人
…貸別荘の家主。
ロバート・トルー
…貸別荘に住んでいた詩人。
エラ一家のために
一夏部屋を明け渡す。
本作品の味わいどころ①
すれ違いの連続する運命
なぜエラはトルーを熱愛したのか?
それは運命ではなく、
必然的なものでしょう。
夫・ウィリアムは夢もロマンもない
武器商社マン、現実主義者です。
エラ自身は家事の合間に詩を創る
ロマンチスト。
夫婦の絆には
はじめから綻びが見えていたのです。
その彼女が熱愛していたのが、
同じ雑誌に作品が掲載された
詩人・トルー。
同じ素材で創ったその詩は、
エラの数歩先を行くものでした。
自分よりも優れている男に憧れる。
それは致し方ないでしょう。
運命が仕掛けた悪戯の一つめは、
貸別荘を探していたエラ一家に、
トルーの明け渡した部屋を
結びつけたことでしょうか。
そこにはトルーという人間の薫りが
そのまま残っているのです。
エラが燃え上がるのも
無理はありません。
そして運命の悪戯の二つめは、
熱愛しているエラがあの手この手で
トルーと接近する手段を講じても、
決して二人の邂逅を
許さなかったところでしょう。
じらされれば一層燃え上がるのが恋。
この運命の悪戯を
しっかり味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
思いが決して届かぬ運命
運命の仕掛けた悪戯の三つめは、
トルーの自死です。
一度も会うことなく、自分が恋した男は
この世に別れを告げた。
エラのショックはいかばかりか。
それだけではありません。
トルーの遺した手紙から、
彼は自分を受け入れてくれる女性を
求めていたことが判明します。
ジョン・アイヴィ名で
トルーと文通していたのが
裏目に出たことで、
エラはさらに衝撃を受けるのです。
これが四つめの悪戯でしょう。
過酷ともいえるこの運命の悪戯を
じっくり味わうべきでしょう。
本作品の味わいどころ③
あらぬ誤解を受ける運命
ついにエラもまた命を落とします。
しかし彼女が死んだ後も、
運命の悪戯は続きます。
夫・ウィリアムから
あらぬ疑いをかけられるのです。
そしてその運命の悪戯は、
彼女が亡くなる間際に産み落とした
四人目の子どもへと
受け継がれるのです。
詳しくはぜひ読んで確かめてください。
これが運命による
最後の悪戯となるのです。
もはや「悪戯」では済まされないレベルの
過酷さです。
しかし、運命の仕業に見えて、
よくよく読み込むと実は
必然の積み重ねのようでもあるのです。
私たちの一生もまた、
運命に弄ばれたように見えて、
実は自ら行ったいくつもの選択の
結果であることが少なくありません。
短篇作品でありながら
濃密な筋書きであり、
長篇作品を読み終えたような充足感に
浸ってしまいます。
ハーディ、恐るべき作家です。
(2024.7.18)
〔「呪われた腕」〕
妻ゆえに
幻想を追う女
わが子ゆえに
憂鬱な軽騎兵
良心ゆえに
呪われた腕
羊飼の見た事件
アリシアの日記
訳者あとがき 河野一郎
解説セッション 村上春樹×柴田元幸
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