「誘惑者」(安部公房)

「逃亡者」「追跡者」そして「誘惑者」

「誘惑者」(安部公房)
(「無関係な死・時の崖」)新潮文庫

「無関係な死・時の崖」新潮文庫

「誘惑者」(安部公房)
(「安部公房全集007」)新潮社

「安部公房全集007」新潮社

終列車出発後の待合室。
大男は、そこにいた
二人の女の一方を追い出し、
ベンチを占領して眠りについた。
しばらくして現れた小男は、
起き上がった大男を見て
激しく動揺する。
「うまく見つけたもんだな。
張り込んでいたんですか…。

1957年発表の安部公房の短篇です。
深夜の駅の待合室に現れた大男と小男。
どうやら「逃亡者」である小男が、
「追跡者」である大男の罠に
はまったらしい筋書きの開始ですが、
相手はなにしろ安部公房です。
一筋縄でいくはずがありません。
一筋縄でいかないその部分が、
そのまま本作品の
味わいどころとなっています。

〔登場人物〕
大男

…深夜の駅の待合室に現れた謎の男。
 小男を追っているらしい。
 どもりがちに言い淀む。
小男
…大男の次に現れた謎の男。
 大男に追われているらしい。
 雄弁に語る。
若い女老女
…深夜の駅の待合室を
 ねぐらにしている二人組。
白衣の男たち…屈強な男たち。

本作品の味わいどころ①
常に局面をリードする「逃亡者」

一筋縄でいかないことの一つめが、
「逃亡者」の雄弁さです。
小男登場以後、ほとんどが
彼の台詞で占められているのです。
彼の話は、待合室の女二人を
震え上がらせたかとおもえば、
追跡劇にまつわる「謎」を提示したりと、
読み手の頭脳を混乱に陥れます。
もちろん
安部の仕掛けた罠に違いありません。
いいのです。
その罠に陥ることこそ、
安部作品を読む醍醐味なのです。
「逃亡者」である小男の策略に、
どっぷりと浸かることこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。

本作品の味わいどころ②
挙動不審で謎に満ちた「追跡者」

一筋縄でいかないことの二つめが、
「追跡者」の頼りなさです。
彼は刑事らしいのですが、
登場場面はただの浮浪者としか
思えません。そして
小男が雄弁に語っているのに対して、
優位に立つはずの「追跡者」たる
大男の言動は常にしどろもどろ。
どう見ても「逃亡者」を追い詰めた
「追跡者」としての威厳は
微塵も感じられません。
もちんそこには
「謎」が潜んでいるのですが、
それを無理に解き明かそうと
しなくてもいいでしょう。
その「謎」に迷うことこそ、
安部作品を読む醍醐味なのです。
「追跡者」の醸し出す「謎」に、
抵抗せずに翻弄されることこそ、
本作品の第二の
味わいどころといえるのです。

本作品の味わいどころ➂
最後に明かされる表題「誘惑者」

おそらくこれは安部作品特有の
「入れ替わり」か?
追う者と追われる者とが
途中で入れ替わる作品や、
追う者が
次第に追い詰められていく作品は、
他の安部作品にも見られます。
そうこうしているうちに最後の一頁。
まさしくそこで
大どんでん返しが現れます。
しかし単純な
「入れ替わり」などではありません。
読み手はそこで初めて
仕掛けられていた「罠」の全貌を
知ることになるのです。
そして本作品の表題が
「逃亡者」でもなく「追跡者」でもなく、
「誘惑者」である理に、
納得させられるのです。
この、安部の仕掛けた罠に
見事なまでにはまることこそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。

安部作品の前で、
読み手の抵抗は意味をなしません。
小男のように兜を脱いで
降参するしかないのです。
安部の罠、いや、安部の毒を、
存分に堪能しましょう。

(2024.7.22)

〔「無関係な死・時の崖」〕
夢の兵士
誘惑者

使者
透視図法

なわ
無関係な死
人魚伝
時の崖

〔「安部公房全集007」〕
ミュージカルス
芥川也寸志のこと
コミュニストに問う
ハード・ボイルド
東欧を行く
知的な夢想家
ドキュメンタリー
作者から
「偏見」を育成しよう
原理的なものではない
映画批評の再検討
文学組織のアクチュアリティ
平等な交流
私の中の満州
記録と写実
東欧酒景
ただ今休憩中安部公房氏
花田清輝著「乱世をいかに生きるか」
お化けとミュージカルスを語る
抽象的小説の問題
水爆のツラに道徳説法
忘却の権利
物をきざむクセ
人間修業
誘惑者
夢の兵士
キッチュ クッチュ ケッチュ
人間のリアリズム
わかりやすさのワナ
人間的ということ
思想以前の問題
利口な狼
マスクの発見
訪問 滝口修造
観客席からの発言
都会
芸術運動をはばむガンはなにか
探偵小説各人各説
悲劇と喜劇
雨乞い
今日的な思考

奉仕とサービス
雨占い
トラックの窓

魚になりたい人
境界線上の衝動
善の強制
着想の妙
二つの質問に答える
子供の夢
鉛の卵
アメリカ発見
「宿命」
寓話と現実
感情の萎縮
椎名麟三小論
「アヴェロンの野生児」
現代の常識
ガラス人の夢想
私の宇宙旅行
棒になった男
あとがき-「猛獣の心に計算器の手を」

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