抽象世界、詩的世界、幻想的世界
「アトランティス物語」
(ノヴァーリス/高橋英夫訳)
(「百年文庫054 巡」)ポプラ社
年老いた国王によって
大切に育てられた美しい姫は、
そのあまりの高貴さゆえ、
婿になるべき王子が
見つからぬまま
妙齢を迎えていた。
ある日、森に出掛けた姫は、
自然の学問の探究に打ち込む
知性溢れる若者と出会う。
二人は互いに…。
ドイツ・ロマン主義の詩人・作家の
ノヴァーリス「アトランティス物語」を
読みました。
不思議な味わいです。
まるでワーグナーのオペラの一節の中に
入り込んだような気分に浸りました。
〔主要登場人物〕
「王女」
…国王の一人娘。美しく気高い。
類い希なる美貌と高い家柄のため、
婿捜しが頓挫していた。
「若者」「むすこ」
…「姫」の遊園の森に隣接する地に住む
青年。
自然科学の探究に勤しんでいる。
「国王」
…ある国の年老いた盟主。
妃に先立たれたこともあり、
一人娘の「姫」を溺愛する。
「翁」
…「若者」の父親。
「若者」に自然科学の学問を授ける。
人里離れた森の中で質素に
暮らしている。
本作品の味わいどころ①
固有名詞のない抽象世界
上に記した登場人物を
見ていただければわかるように、
名前を与えられた人物はいません。
それどころか、地域や国にも
特定の名称は付されていないのです。
本作品は「ある国のある王女と
若者の物語」であり、限りなく
抽象的な世界として描かれています。
幼い頃に聞かされた
お伽話のような肌合いなのです。
リアリティばかりが
小説の味わいではありません。
こうした「お伽話的抽象世界」の良さを、
じっくりと味わうべきです。
ただし、固有名詞が現れる場所が
二か所あります。
一つは王女の家系を示す中に現れる
「王妃はかの名高い
英傑ルスタンの後裔の…」という件、
もう一つは
「ただ口碑によれば、アトランティスは
はげしい洪水によって
姿を消してしまった、と言われている」
という最後の一文です。
どちらも小説に表されている世界より
遙か過去の事物を示しており、
これもメルヘンチックな
演出となっています。
本作品の味わいどころ②
筋書きを越えた詩的世界
筋書きは、身分違いの若い二人が
恋に落ちるという、
古今東西どこにでもあるものですが、
本作品の特徴は、
それが悲恋に終わらず、
ハッピー・エンドで
幕切れとなることでしょう。
身分違いを乗り越えられたのは、
下世話な言葉で言えば
「できちゃった婚の事後報告」
ということになるのでしょうか。
嵐の夜に結ばれた二人は、
そのまま一年あまり、
「翁」の家で隠れて暮らし、その後、
赤ん坊とともに
国王の下へ帰還するという
大胆不敵なものなのですが、
そこには世俗的ないやらしさや不遜さは
まったくありません。
すべてが詩的に表現され、
筋書きを越えたところで
読み手に感動を与えているのです。
ちなみに二人が結ばれた場面は、
次のような一文で表現されています。
「彼らの心の無垢、
魔法にかけられたような情緒、
そして甘美な熱情と
青春の結びついた抗いがたい力、
これがたちまち二人に
世間や世間のさまざまの関係を
忘れさせ、
嵐の祝婚歌と
稲妻の婚姻の炬火のもとで、
二人を恍惚のうちに誘い込んだ」。
本作品の味わいどころ➂
ロマン溢れる幻想的世界
本作品は、そうしたロマンチックな
詩的表現により創り上げられた、
幻想的な世界なのです。
煌びやかな王宮、
謹厳実直な国王、
理想的な美しさの王女、
伝説の騎士の末裔という家系、
深く広がる森、
隠者として生活する父子、
詩歌で伝える風習、
そこにはえも言われぬ
中世ヨーロッパの幻想的な世界が
広がっているのです。
この幻想的世界こそ、本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
作者ノヴァーリスは、
婚約者ゾフィー(何とノヴァーリスは
12歳のゾフィーに一目惚れし、
翌年婚約までこぎ着けた)の
死(しかも彼女は15歳で病没)に際し、
「ゾフィー体験」と呼ばれる
神秘的な幻視を体験
(数世紀を経巡るような
幻視体験といわれている)し、
それが作品に色濃く現れていると
されています。
本作品は、代表作であるとともに
未完の大作「青い花」に挿入された
作中作であり、
きわめてロマンチックな
味わいとなっています。
ドイツ・ロマン派ノヴァーリスの
珠玉の逸品です。
ぜひご賞味あれ。
(2024.7.23)
〔「百年文庫054 巡」〕
アトランティス物語 ノヴァーリス
枯葉 ベッケル
ポンペイ物語 ゴーチェ
〔ノヴァーリスの本はいかがですか〕
〔百年文庫はいかがですか〕
【今日のさらにお薦め3作品】
【こんな本はいかがですか】